やりたい仕事は、仕事と呼べるが、お金にならないのはいつものことよ
普段着オッケーな感じで、田舎のじいちゃんばあちゃんのデバイスの困った状態をバンバン直していく。
という仕事をしたいなぁ、と思ったのはやたらと赤平市に行き始めてからなんだけど、
昔からやらたと都会に執着が会ったオイラはいざ、札幌の中心部で仕事をするようになってくると、その混雑ぶりにうんざりとし始めている。
だいたい、1ヶ月に1回位車でぶーんと行ければそれで良いような。
そもそも今のプライベートだって、パソコンの前でギターを弾いて張り付いているようなものだし。
そんでも、それで人からお金をもらうほどのスキルはないし、
せいぜい設定が壊れたのを要望に沿って直すくらいのことしかできない。
仕事の技術を使って商売をすると、いろいろサインさせられた契約に違反するだろうし。
そんで、そんな仕事はないかしら? とか思っても、結構激務なものばかりで体調に合わない感じでもある。
サービスに対しては対価は支払われるべきだと思うのだけど、たっかい製品を買わせる割には、IT関係のサポートは道具が足りないと言うか、その場にいないとサポートが成立しないことが結構多く、できる詐欺に近い状態に近いなどを思ったりもするので、その隙間に入る人が必要だといつも感じるのだけど、
そうだなぁ……。
宝くじで3億円くらいあたって生涯年収を入手したらそういう夢でもかなえることができるかな。
今週、へんなアレルギーに引っかかったのか、職場に蔓延してパンデミックを起こしている変な風邪か、はたまたヒュミラの副作用かわからないけれども、
ひどい関節痛とだるさと喘息に悩む1週間であった。
拘束時間によりダメージを食らうタイプのオイラっす
心のなかに、じいちゃんの面影を絶やさずもうすぐ1ヶ月。
31日に亡くなると、30日しか無い月は繰り上げで30日を月命日にするそうな。
多少なりとも、身体にダメージを負いつつ黙って仕事をしていたのだけれど、なかなか思い描くじいちゃんの面影の様に淡々と黙ってこなしていく強い男の様に離れないものだなー、と挫けそうになりながら、そんな時には小田和正のHello helloを口ずさむ。
通勤時には妙にお年寄りに目が行く。
別に、オイラが何ができるというわけじゃないんだけど、みんなすごい人生を過ごしてきて、そして、黙って日々を生きているんだな、と思ったりすると不満を口にする自分が恥ずかしい。
ま、若輩者だから不満が出てしまうのかもしれないけれど。
最近、ちょっと身体を壊す。
クローン病のくせに便秘ガチで、寛解っぽい状態に甘えて食ったり、食わなかったり、栄養が偏ったりで激太り。
見た感じがすげー太っていない分、血液検査で上がってくる数字が深刻なのが厄介である。
あと、仕事の密度が高くて残業がちなのも、良い状態にならない要素だとも思う。
もしも、今の仕事を20代とか30代にやっていたなら、
2時間位の残業も耐えられるものだったのかもしれないけど、
闇明けで、基礎体力からみっちり鍛えないとと何処かで考えているひ弱っちにはなにかと堪えるのである。
まぁ、そんでも地道にやっていればたまにいいことでもあっかな?
くらいの期待度で行きていければいいだろうな。
記憶は時に自分のモノじゃないみたいだ。
赤平の平岸病院に3日ほど寝泊まりし、
その後、線香を絶やさないように2時間毎に目を覚ます生活を1週間ほどしていた。
……夜の頻尿で目覚めることも役に立つ時があるものだ。
4月あたりの社会復帰前にじいちゃんのところに行ったら、
いきなり歩行器を使って歩いていたのでびっくりした。
足がうまく動かなくてころんだんだわ、とか、
肺にガンがあるんだわ、とか
そんな話を聞いて、まめに赤平に通い出す。
何しろ家のかみさんが大のじいちゃんファンだったし。
GWに家に行ったのが最後で、
その次からは病院に見舞いに行く事になった。
本人が脳転移を理解していたか今となってはわからないのだけど、
右半身が麻痺し、傾眠がつづくようになり、点滴で栄養を入れるようになり
顔を出しても、タイミングが合うとこちらをじーっと見ていることがあった。
先週火曜日、今晩もたないと連絡があり仕事を放棄して駆けつけると
そこからじいちゃんは24時間以上ずーっと目を開けてアチラコチラを見ていた。
うちの妹が子供を連れて行ったので、ひ孫初面会でもあった。
角度のせいかもしれないけど、ひ孫を見るじいちゃんの目尻はちょっと下がったような気がした。
うちら夫婦と泊まり込みでずーっと赤平で介護をしていたおばさん夫婦は、
消防団員もやっていたくらいのガッチリしたじいちゃんがだんだんとやせ細って
面影をなくす姿を徐々に見てきたけど、
急遽集まった親類は多分、控えめに言っても凄くショックだったと思う。
翌日以降、目を開けていたけど瞳のひかりは消えていき、ものの動きを追わなくなってきて、
最後はばあちゃん、娘三人、孫二人、孫の嫁一人に声をかけられながら息を引き取りました。
というか、死の瞬間というのはとっても曖昧で、死亡宣告を受けても、動いているような気がしているし、徐脈だけどモニタは反応しているし、
自分のことはともかく、親しい人の死というのは受け入れがたいものみたいだ。
生きている人は玄関から帰り、
亡くなった人は、地下の車庫から家に帰る。
病院というのはそういう風にできているんだなぁ。
悔やまれるのは、体力があるじいちゃんは、危篤宣告から3日ほど頑張ってくれちゃったので、パキシルを持参することを忘れてしまったせいで、
かなり離断症状に悩まされて葬儀に参加しなければいけなかったことである。
全くもってポンスケである。
……ヒュミラを注射する週でなかっただけマシだった。
ばあちゃんは老健に入所しているので、おばさん夫妻と飼い猫が主のいない家を守っている。
間違いなく、おばさん夫妻が一番つらい場所の近くに居続けており、
その苦労に恩を返す方法など全く代替の効かないものでもある。
これから四十九日まで、じいちゃんは色んな場所をうろちょろするんだろうな。
楽しんでほしいもんだ。
でも、足腰が悪いばあちゃんのために80歳で家を建て替え、
毎日老健に顔を出し、
今年も雪が融けたら楽に行けるように、三輪の電気自転車を注文し、
でも、家に届いた時には自分がもう乗れなくなってしまい、
おばさんがじいちゃんの見舞いに毎日使っていた。
ずっと呼吸が苦しそうだったから、胸をさするのが会いに行ったときのオイラのコミュニケーション方法だった。
……喋るのは苦手だからなぁ。
いつか、忘れていってしまう忘備録としてここに記す。
一人ロボトミーに足を突っ込む
今週は、お盆でもあったし全般的に仕事が暇模様。
さらに、高血圧的な体調不良とか考えてじいちゃんとこにいかなかったため
体力が余り傾向。
なんというか、無駄な休日の過ごし方をしてしまったものだ、
という風に感じてしまう。
で
ぼんがすぎると、一気に寒くなってくるのが札幌なんだけど。
最近は、コオロギとか鈴虫とか、
キリギリスの鳴き声が外から聞こえてくるわけでもないし
風鈴だってなりゃしない。
なんというか、つまらない無音の夜を
何度も何度も寝苦しくて目を覚まし、
嫌な夢を見て目を覚まし、
いったいなんと途中で目を覚まし続けるのだろう、とか考えてしまう。
思い返せば、
寝ているからいいんだけど、眠いとか、布団幸せという感情が無くなった。
仕事して、赤平行って
欲しいものは考えないようにして
ただそうしているだけで毎日が過ぎていくということが
つまらないというよりも、
とっても楽に感じるこの頃である。
ちいとばかり、心がくたばったけど
世の中的には邪魔くさい人じゃないからいいのかしらね?
当たり前に歳を取ることを立派だと思えることに気づくのは難しかったりした
何かと能力がない、と判断されると世知辛い世の中である。
そんなことは、昔からちっとも変わっちゃいなんだけど。
そんでも、自分が昔ほどいろいろなことを覚えられないな、と感じる歳になって
左様に感じるのである。
能力がない、と言えば
いつもネットじゃぁ老害とか言われるんだけど
オイラは母さんが若いときの子供だったので、肉親や祖父母が老いていく姿ということに縁もなく、親戚が亡くなるということもほとんど経験がない。
そんなところに、3月くらいまで自分で家を立てたり、月下美人を育てたり
庭の野菜をあらされないためアライグマとの死闘を繰り返していた爺さんが
あっという間に、寝たきりになってしまって少なくとも2週に一度
赤平まで会いに行っている。
会いに行っているが、週ごとに傾眠状態が顕著になり、
オイラを認識しているのかどうか、言葉もはっきりしない脳転移があるので
なんとも言えないんだけど、
別にオイラ、認識されてなくてもかまわない。
わかってくれて喜んでくれればラッキーだし、
痰が切れずに呼吸が苦しそうな時に、背中や胸をさすって
2時間程度、病室でぼーっとじいちゃん眺めているだけでいい。
何か気の利いたことでも話しかけられればいいのだけど
もとより恥ずかしがり屋でそんなに話す孫でもなかったし、
一人前に思春期とか反抗期とか、そんなんで随分顔を出さなくなった時期だってある。
赤の他人だったら、都合よく顔出してきたって意味ねーよ、とか言われちゃうんだろうけど。
で、そういう風に弱っているじいちゃんを見ていると
最初は、あんなにちょこちょこ何か作っている姿を見慣れているとショックだったりもした。
そんでも、段々と弱くなっていくというのは受け入れていけるようになったりもする。
かつてはどんな家庭も、そういう弱くなっていく肉親を見ながら
段々と覚悟が決まってくるのか、受け入れながら世間は続いてきたのだろう。
最近は、核家族はげしく、交流も少なく、
受け入れられなくなったり、反発したり、あるいは弱さと切り捨てたりする風潮が当たり前になっていたところで、
こんな生活をしていると、
弱かったりトロかったり、仕事がもたついている人に目くじらを立てるようなことも無くなったり、
物質的な欲求が引っ込んでくるようになってきたりもする。
人は弱くなっちゃうんだけど、
記憶の中の姿が台無しになっちゃうわけじゃないからな。
というわけで、見舞いはオイラも体力との闘いなのでしんどいんだけど
病室でぼーっと過ごす時間はわりかし好きなのである。
オイラが記憶も確かじゃない頃は、たくさん弱い孫をかわいがってくれたんだろうと思うと、そんだけで満足だ。
ということで、鮭ハラスメンチカツに決めました
どうしようかな~って思ったのよ。
僕らはハラスメント、か、ハラスメントな僕ら、か。
後者だとちょっと古くさいかなーと思ったし、色々考えたら鮭ハラスが邪魔してくるんで、そういうことにした。
で、
自分の含めてなんだけど、どうしてこう世の中は叩くことに情熱を燃やすようになったのかなーって思うわけよ。
叩いて落とせばなんかいいことあんのかな?
自然界の8:2の法則を考えるのなら、叩いて落とせば今度は自分に悪い方のお鉢が回ってくるかもしれないのに
なんかこう、平和になれないもんかね。
特に芸能人なんかは、別にオイラの世界とは一種離れたところで世界を作っているのだから
別にこちら側におりてこなくてもいいのだけど、
そういうのも含めて今の芸能界なのか知らないけど
プライベートまで切り売りしているような感じがする。
そのあたりでちょっとした粗相で、鬼の首を取ったように叩かれちゃぁ
たまんないよね。
嫌ならそぉっと、ぼやかしてぼやくくらいで十分気持ちの整理をつけることなんて可能なんだけど。
人は管理したがる性質があって、
それが顕著に現れる人の方が多いみたいだからそうなのかな。
潰してストレス発散するのはプチプチくらいにとどめておこうよ。
老体に鞭打つ天候の北海道のクラシックラリー2017
北海道全域、やたらと暑いのだ。
すごい心配なのが、クラシックカーというか、夏場はオーバーヒートしそうな名車の数々が集う、クラシックラリーがあって
昨日、職場の前から出発していった。
……多分、カウンタックとか、フェラーリとか、ポルシェなんかは知床まで行ってもだいじょうぶだとおもうんだけど、
ミゼットとかトライアンフとか、
この炎天下でちゃんとゴネずに走ってくれるのだろうか?
そう考えると、怖くて涙が出てきそうになっちゃう。
GTロマンでの、卑下の仕方がすごかったから。
そんなオイラは、精神科に通ってきた。
オイラもオイラで、オーバーヒートしているんだけど
「まー、毎日出勤できるようになっただけ、いいじゃない。」
と言われると、なんもいえねー。
結局、病人のカテゴリで頑張っていたとしても
世間はそんなこと考えちゃくれないわけで、
もう、そうなると何らかの加速度装置を付けないと渡り歩くことができないのでは?
というわけで、一定の人々に対する理解がより進むんだけど
これも、両極化していくんだろうな。
また、生きる力が失われていくもんだ。