ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

右肩下がりでやりくりするたくましさを身につけることは、日本政府も同じこと

なんとなく訪れてしまう街。オイラにとってはそれが現在は赤平市だ。

札幌から高速道路を法定速度で走ると約1時間と半分。

片道2310円。……なかなか高いな。

話が脱線するが、高速道路って高度成長期に将来無料にするという方針で建設をしてきたけれども、結局貧乏まっしぐらであんまり有効な幹線道路としての機能を果たしていない。

なんでも楽観的に右肩上がりで見積もりするのも問題だよなぁ、と感じるこの頃である。

そして、赤平市の中心を迂回するように国道38号線のバイパスが作られたのだけど、ああいうのって国道だから地元の意向を無視して作っちゃうのかしら?

そのせいで年々市の中心部が寂れていっているようなきがするのだけど、誰のための道路作りなんだろう、と思ったりもするがトラックのドライバーにとっては良いことなのだろう。

 

で、食事制限をする上で糖尿病は野菜を中心に、みたいに言われるのだけど

クローン病は高カロリー、低脂肪、低残渣=食物繊維少なめが原則なので相容れない食事を強いられている。

この上、糖質まで取り上げられたら一体何を食えばいいのだ? と、池に小石を投げながら小一時間くらい思案したのだけど、じいちゃんの家の物置に貼られている、

 

「キリストは人を裁く」

 

という身も蓋もない看板を眺めて

 

「あぁ、人ってそういうもんだよな」

 

と諦めることにした。

もう摂取できるのはタンパク質ばっかりのボディビルダーみたいな食生活しか残っていない。

ま、今のところ腎臓は健康だからそんでもいいんだけど、あのタンパク質の飲み物って結構高いよね。

やっぱり貧乏人にはお腹が膨れる糖質が一番安くて幸せになれるから

なかなか世の中からメタボリックシンドロームはなくならないのだろう。

運動しろと言っても、憂鬱じゃ運動する気にならないし、免疫抑制剤を服用しているとあんまり日光を浴びてはいけないなど言われると、ジムに行くくらいしか選択肢が無いのだけど、そんな生活の余力もあるはずもなく。

 

全く面倒な食事なのである。拒食症になる気持ちがようやく理解できた。

健康意識は1日パリピーをするとすぐにすっ飛ぶ。やんないけど。

糖尿病を調べると、歯周病に注意とかいてあり、

歯医者のパンフを読むと、歯周病が糖尿病を引き起こすことがある、と書いている。

……どっちが先なんだ?

 

そのような疑問を抱えつつ、あまりに化膿して行き場の無くなった膿がど根性ガエルの梅さんのようにオイラの下顎を押し出し始めるし、

ちょっと顎に触れただけでロキソニン2錠コースになるので、仕事を早退して歯医者に駆け込む。

 

歯をくり抜くと通常膿が出てくれて、化膿が治まってやっと詰め物ができるらしいのだが、一向に膿が減らないので今日はレーザーメスで歯茎を切ってくれた。

それはもう大量に出てきたらしいのだけど、それでも出きらないので現在歯茎にドレインとしてゴムチューブを差し込んでいる有様だ。

それでも出きらないので困ったもんだわ。

 

「あすけん」というアプリをiPod Touchに入れて、歩数を勝手にiPod Touchが記録していたので連携してみた。

食事のカロリー計算とかしたことなかったのだけど、大して食っていないようでこれがなかなかすごいカロリーになるということがわかった。

今までの食生活を大きく反省。

脳卒中になりやすい家系なので、病気の種類はもう増えないで欲しい。

面倒くさい。

と言うのは、わりとうつの症状から来るものなのか?

いや違うな。昔からオイラは、モータースポーツ以外の運動は大嫌いだ。

スピード感が無いと楽しくないのだ。……自転車、がせいぜい我慢できるところなんだけど、これから札幌は自転車には厳しい季節に入るので買うとか思わない。

 

そして、来たよ。

運動もしないで、朝と昼はストレスで全然食欲がないから、夜と土日ばかりにご飯を食べてたら糖尿病だってさ。

オイラは知らなかったのだけど、虫歯の治りが悪いのと糖尿病は密接な関係があるらしく、歯科の先生も

「……おかしいなぁ。なんでこんなに膿もでないのに腫れが引かないんだろう」

って。

糖尿病だってさ。さー、答えがはっきりしたので運動嫌いなオイラは主に食事制限によって痩せないといけないことになったのだけど、どうしたら良い?

とか思っていたら、なんだ結局クローン病の食事にすればいいじゃん、というところに落ち着いた。

しかし、そう言ってもストレス太りするくらいだからどっかで頭にきてバカ食いするのだろうと考えると、運動も考えないといけない。

……スポーツクラブ?

……面倒くさいな。

どちらかと言うと、運動が終わったあと風呂に入れるクラブならいいかもな。

オイラ、湯船はとっても大好きだ。

化膿している時は長湯しちゃいけないけど。

 

そんな風に、躁鬱病クローン病、高脂血漿、そして糖尿病。

だいたい、やせ細っていくのがセオリーのクローン病なのに便秘がちで糖尿病とかどういうことだい?

……なんだか、病気を苦に死んじゃってもいいくらいの有様だ。

特に、グルメでもないし、食うことに贅沢していたわけでもない。

貧乏でケチだからどうしても炭水化物でお腹を満たすということを繰り返していたせいでもある。

体にいいものは高いんだよ。

昼飯とか500円超えると勿体無いとしか思えない性格が余計に悪い方に作用しているようでもある。

 

でも、痩せなとイカンなぁ、とは思っていたのでスポーツクラブは良い選択肢なのだが、そんな時に限って、障害年金打ち切りだよ、とか

難病支援の限度額引き上げだよ、とか社会保障は確実に削られていっている。

仕方がない、とは言え自民党で良かったのかな〜、と疑問が湧いてきて先日など小一時間くらい、ぼーっと外の景色を見ながら悩んじゃったよ。

てな悩みのせいで、やっぱり体質改善とか無理なのかな〜、と思ったりする。

……嫌味で、餓死とかこの世の中なのに栄養失調になってやろうかな。

頭くるし。

それにしても歯が痛い。

 

頼りがないのは良い知らせ、なんて寂しい思いを親にさせるものではない。

溺れそうな息苦しさ。

そんな嫌な空気にまとわりつかれたかのようなこの2ヶ月であった。

あっという間に、四十九日法要も終わってしまったし、祭壇にでかい遺骨が無くなると、いよいよ本当に寂しい感じになってしまって。

足の悪いばあちゃんのために80歳で家を立てたけれども、ばあちゃんは老健にいってやっと体重がへり、負担が軽くなったのか元気を取り戻したのに、そんでも家には戻れない。

断片的に蘇る赤平と往復の日々。

仕事は仕事できっつくて、残量をして人よりたくさん量をこなせれば追いついたかもしれないけど、土日には人として潰れているような暮らしではそんなことも難しく、

結局、別の部署へ異動が決まったり、

明け方は血圧が高いみたいで、寝苦しさに押しつぶされそうに嫌な夢ばかりを見るようになったり、

なかなかスッキリとした生活ができなかったこの2ヶ月。

 

これからは冬になり、特有の冬の鬱期に入ったりするんだけど、

なんだか楽しいことを見つけて無理してもやるようにしないと、

ふっと心が持って行かれそうになったりする。

 

ま、そんなことを今は言わなくなったけど。

オイラの場合、泣き言を言わなくなった時が一番やばい、というのを自分でわかっているのだけど、

おつかれさん、とばかりにこの世とおさらばするとどんなにか楽なんだろうな、と思うのだけど、

じいちゃんを見守り続けた後では、苦しくても生き続けないと行けないと言い聞かせてもいる。

 

昔みたいに、物欲で心を満たすこともできなくなってしまったので

今は何に集中すればいいのかもよくわからないまま、

結局、宙ぶらりんで良い状態にもならないかな。

 

まぁ、そんな時はまた新しい仕事になるので心を潰して、集中しているうちに何か見つかったりするのかしらね?

昔の先人たちが、余裕なく生活して、その割に人の心に残る技を成し遂げたように。

 

なんだろ?

今は、音楽かな?

やりたい仕事は、仕事と呼べるが、お金にならないのはいつものことよ

普段着オッケーな感じで、田舎のじいちゃんばあちゃんのデバイスの困った状態をバンバン直していく。

という仕事をしたいなぁ、と思ったのはやたらと赤平市に行き始めてからなんだけど、

昔からやらたと都会に執着が会ったオイラはいざ、札幌の中心部で仕事をするようになってくると、その混雑ぶりにうんざりとし始めている。

だいたい、1ヶ月に1回位車でぶーんと行ければそれで良いような。

そもそも今のプライベートだって、パソコンの前でギターを弾いて張り付いているようなものだし。

 

そんでも、それで人からお金をもらうほどのスキルはないし、

せいぜい設定が壊れたのを要望に沿って直すくらいのことしかできない。

仕事の技術を使って商売をすると、いろいろサインさせられた契約に違反するだろうし。

そんで、そんな仕事はないかしら? とか思っても、結構激務なものばかりで体調に合わない感じでもある。

サービスに対しては対価は支払われるべきだと思うのだけど、たっかい製品を買わせる割には、IT関係のサポートは道具が足りないと言うか、その場にいないとサポートが成立しないことが結構多く、できる詐欺に近い状態に近いなどを思ったりもするので、その隙間に入る人が必要だといつも感じるのだけど、

そうだなぁ……。

宝くじで3億円くらいあたって生涯年収を入手したらそういう夢でもかなえることができるかな。

 

今週、へんなアレルギーに引っかかったのか、職場に蔓延してパンデミックを起こしている変な風邪か、はたまたヒュミラの副作用かわからないけれども、

ひどい関節痛とだるさと喘息に悩む1週間であった。

……ヒュミラってクローン病寛解維持に役立つ以外、やばいよなぁ

拘束時間によりダメージを食らうタイプのオイラっす

心のなかに、じいちゃんの面影を絶やさずもうすぐ1ヶ月。

31日に亡くなると、30日しか無い月は繰り上げで30日を月命日にするそうな。

 

多少なりとも、身体にダメージを負いつつ黙って仕事をしていたのだけれど、なかなか思い描くじいちゃんの面影の様に淡々と黙ってこなしていく強い男の様に離れないものだなー、と挫けそうになりながら、そんな時には小田和正のHello helloを口ずさむ。

 

通勤時には妙にお年寄りに目が行く。

別に、オイラが何ができるというわけじゃないんだけど、みんなすごい人生を過ごしてきて、そして、黙って日々を生きているんだな、と思ったりすると不満を口にする自分が恥ずかしい。

ま、若輩者だから不満が出てしまうのかもしれないけれど。

 

最近、ちょっと身体を壊す。

クローン病のくせに便秘ガチで、寛解っぽい状態に甘えて食ったり、食わなかったり、栄養が偏ったりで激太り。

見た感じがすげー太っていない分、血液検査で上がってくる数字が深刻なのが厄介である。

 

あと、仕事の密度が高くて残業がちなのも、良い状態にならない要素だとも思う。

もしも、今の仕事を20代とか30代にやっていたなら、

2時間位の残業も耐えられるものだったのかもしれないけど、

闇明けで、基礎体力からみっちり鍛えないとと何処かで考えているひ弱っちにはなにかと堪えるのである。

まぁ、そんでも地道にやっていればたまにいいことでもあっかな?

くらいの期待度で行きていければいいだろうな。

記憶は時に自分のモノじゃないみたいだ。

赤平の平岸病院に3日ほど寝泊まりし、

その後、線香を絶やさないように2時間毎に目を覚ます生活を1週間ほどしていた。

……夜の頻尿で目覚めることも役に立つ時があるものだ。

 

4月あたりの社会復帰前にじいちゃんのところに行ったら、

いきなり歩行器を使って歩いていたのでびっくりした。

足がうまく動かなくてころんだんだわ、とか、

肺にガンがあるんだわ、とか

そんな話を聞いて、まめに赤平に通い出す。

何しろ家のかみさんが大のじいちゃんファンだったし。

 

GWに家に行ったのが最後で、

その次からは病院に見舞いに行く事になった。

 

本人が脳転移を理解していたか今となってはわからないのだけど、

右半身が麻痺し、傾眠がつづくようになり、点滴で栄養を入れるようになり

顔を出しても、タイミングが合うとこちらをじーっと見ていることがあった。

 

先週火曜日、今晩もたないと連絡があり仕事を放棄して駆けつけると

そこからじいちゃんは24時間以上ずーっと目を開けてアチラコチラを見ていた。

うちの妹が子供を連れて行ったので、ひ孫初面会でもあった。

角度のせいかもしれないけど、ひ孫を見るじいちゃんの目尻はちょっと下がったような気がした。

 

うちら夫婦と泊まり込みでずーっと赤平で介護をしていたおばさん夫婦は、

消防団員もやっていたくらいのガッチリしたじいちゃんがだんだんとやせ細って

面影をなくす姿を徐々に見てきたけど、

急遽集まった親類は多分、控えめに言っても凄くショックだったと思う。

 

翌日以降、目を開けていたけど瞳のひかりは消えていき、ものの動きを追わなくなってきて、

最後はばあちゃん、娘三人、孫二人、孫の嫁一人に声をかけられながら息を引き取りました。

というか、死の瞬間というのはとっても曖昧で、死亡宣告を受けても、動いているような気がしているし、徐脈だけどモニタは反応しているし、

自分のことはともかく、親しい人の死というのは受け入れがたいものみたいだ。

 

生きている人は玄関から帰り、

亡くなった人は、地下の車庫から家に帰る。

病院というのはそういう風にできているんだなぁ。

 

悔やまれるのは、体力があるじいちゃんは、危篤宣告から3日ほど頑張ってくれちゃったので、パキシルを持参することを忘れてしまったせいで、

かなり離断症状に悩まされて葬儀に参加しなければいけなかったことである。

全くもってポンスケである。

……ヒュミラを注射する週でなかっただけマシだった。

 

ばあちゃんは老健に入所しているので、おばさん夫妻と飼い猫が主のいない家を守っている。

間違いなく、おばさん夫妻が一番つらい場所の近くに居続けており、

その苦労に恩を返す方法など全く代替の効かないものでもある。

 

これから四十九日まで、じいちゃんは色んな場所をうろちょろするんだろうな。

楽しんでほしいもんだ。

でも、足腰が悪いばあちゃんのために80歳で家を建て替え、

毎日老健に顔を出し、

今年も雪が融けたら楽に行けるように、三輪の電気自転車を注文し、

でも、家に届いた時には自分がもう乗れなくなってしまい、

おばさんがじいちゃんの見舞いに毎日使っていた。

 

ずっと呼吸が苦しそうだったから、胸をさするのが会いに行ったときのオイラのコミュニケーション方法だった。

……喋るのは苦手だからなぁ。

 

いつか、忘れていってしまう忘備録としてここに記す。