ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

雨だ、雨だよ、涙雨。

「彼は静かに虹の橋の向こうへと・・・」 by F900i

札幌は朝から天気が悪く、明け方に雨が降ったようだ。
オイラはそんなことも気にせず、ぐっすりと寝ていたのだけれど、雨が浸水するのをおそれて窓を閉めに来た妻にカエルみたいに踏んづけられた。
曰く、
「涙雨だね。」
とのこと。
全く、オイラの痛覚神経が涙雨だよ・・・。


予定では今日は10時に起きて、いろいろと支度をするはずだったのだけれど時計を見ると10時45分。何とも中途半端な寝坊の仕方だな、などと思いつつ身支度を調える。最近は、不眠期と過眠期を繰り返すオイラにとっては「過眠期」に当たるらしく、寝ても寝ても病的に眠い。ちょっと前までは2〜3時間の睡眠で過ごしていたのにな。非常に重症な下痢も含めて自律神経に何かしらの問題を抱えているのだろう。
とっとと準備をして、とりあえず認定日なのでハロワに行く。嫌がらせのように12時ギリギリのところで滑り込んだので、スッカリ空いており、且つ窓口の職員はとても機嫌が悪い感じだ。ハイハイ、当番休憩制なんだろうから不満を抱えずにちゃっちゃと仕事しようねぇー。ま、窓口の職員はたいていアルバイト職員なんだけれどな。見分け方は、親切な対応をしてくれる人がアルバイト職員で、如何にも慇懃無礼な対応をしてくれるのが本職員だ。・・・ま、つまり公務員な。若い頃についてしまった仕事観というのはなかなか直すことはできないからねぇ。
今日は急ぎの用件がたくさんあるので、求人検索せずに後にする。もっとも履歴書2通送っていて相手先からは返事の一つもないしな。


移動し、父の病院へ行く。
あまりにも暇そう(に見えるので)ラジオの差し入れをしてきた。これでスッカリテレビからは姿を消しつつある野球中継や、もう少ししたら高校野球なども聞けるだろう。リハビリは聞いた限りでは状況確認的なものが多い感じで、なんだか中途半端な印象を本人は持っているらしい。特に話すこともない親子関係なので1時間くらいぼーっと過ごす。
2時になったので病院を後にする。


実家到着。
がんばってきたヤムさんは、ゆっくりと寝ているような感じで妹の膝の上に身を横たえていた。
オイラは彼の頭をかつてのように撫で、お疲れだったなぁ、とねぎらいの気持ちを込める。彼は肉球を触られるがとても嫌いで、さわろうとするなら爪立て猫パンチで反撃してきたのだけれど、今となってはさわり放題である。かつては黒っぽかった肉球はスッカリ冷たく、アレって静脈血の色だったんだろうなぁ、皮膚の色は人間の肌のように白くなっていた。点滴を受け続けたため、毛を剃られていた痕が痛々しい。
気の強い猫が反撃してこないというのは、何とも味気のないものだなぁ・・・。
病院から弔意を込めて花が送られて来るというのでしばし待機する。その間、何気なく置いてあった写真に目を通す。それはどれくらい前の写真かわからない。しかし、明らかに毛づやはよく、目も澄んでおり、かつてのような爪立て猫パンチを遠慮無くお見舞いしてくれた彼の姿であった。最近の彼の姿を見慣れていてしまっていたのだが、やはり動物も見た目で「老いた」、「病気である」というのが判断できるものだな、と思う。
花が到着する。
準備と整える。彼をタオルに包み、末期の時は移動用のかごにも入れなかったらしい、その代わりの衣装ケースに横たえて、花を持ち車に乗り込む。妹と彼は後部座席でゆっくりしてもらい、オイラは寡黙なドライバーに徹する。エンジンに火を入れ、人がそうである時のように軽くクラクションを鳴らす。折しも、外は激しい雨が降り始めた。オイラはなるべく揺らさないよう、彼の安眠を妨げないよう、慎重にハンドルを握り、いつも以上にアクセルとブレーキの扱いに注意した。
車をゆっくり南下させていく。
途中、仕事上がりの母を拾う。
オイラは母と妹の会話に耳を傾けながら、前方に注意して滝野へ車を走らせる。雨は激しく、時折優しく、波のように自然なリズムを刻んで降り続けた。
真駒内方面から石山へ入り、滝野方面へとハンドルを左に切る。かつてスカイラインを操っていた頃は、楽しむためだけに走りに来た道であるが、約10年を経てそれは葬送のための道となる。上り坂は人をいつも以上に乗せている感覚の差違から生じさせるものだろうが、オイラに重たく鈍い印象を与え続けた。
滝野メモリアルパーク
舗装されていない急勾配で急カーブの続く道をあがった先、陸上自衛隊北海道大演習場西岡地区へ続く一般人がギリギリ立ち入ることのできるゲートの手前にそこは存在する。管理をしている方はセントバーナードを10頭も飼われているというアマチュアの動物繁殖家であり、寡黙になりがちなオイラの緊張をほどよくほぐしてくれたと思う。あまりに静かなのも、お別れの場にはふさわしくないかもね。
5時。予約の時間である。
彼が寝ている衣装ケースを祭壇に上げ、般若心経のテープが流れる中、焼香をする。果たして動物に宗教があるのかは疑問が残るものであるが、人が弔意を表すためには何かしらの「具体的」な形が必要なのかもしれない。それは、人が誰かのためにどれだけできたか? という自己満足的なものかもしれない。しかし、それ無しでは自らを説得することのできない弱い生き物なのだろう、人間は。
生まれた子を取り上げるような感じで、力がはいることのない彼を衣装ケースから出し、ゆっくりと丁寧な扱いで焼き台に乗せる。
その姿はやっぱり眠っているようであり、現実感がない。職員のおじさんが持参してきた花を彼の腕に抱きかかえるような感じでたむけてくれる。・・・なんだか、それはとてもかわいらしい姿だった。最期にオイラ達は、彼の疲れを労い、優しく頭を撫でて別れを告げる。
焼き台はカマの奥へ入り、重たい鉄製の防火扉が電動でゆっくりと降りてくる。
オイラはこの瞬間が一番嫌いである。現実感の無かった死が急に隣にやってくる。
もちろん妹も母も涙を流す。妹は声を出して泣く。
・・・声を出して泣かれると、さすがの氷の心を持ったオイラも涙があふれそうになるものだ。
換気のための大きな音が聞こえてきたら、もう現世での体はさようならだ。元に戻らないことを肌で感じる。もしかしたら、この瞬間まで人は冗談であったり、実は急に蘇生することを、それが「無意味な願望」であることがわかっていても、最期まで思うのかもしれないね。
屋を出て、煙突から立ち上る煙は雨に圧されることなく、ゆっくりと空へと登っていく。


40分後、骨を拾う。
抱きかかえるほどだった彼の体は、血肉を自然に帰し、隙間だらけで繋がらない骨へと姿を変える。それを一つも拾い漏らさないように慎重に灰の中から探し出して骨壺へと納める。直径約15センチ、高さ15センチ。それが彼が現世に残した触れるものである。
職員の方は、丁寧に箱に入れ、人間のそれと同じように袋をかぶせ、白い布で包んで妹に渡してくれた。
もちろん仕事だし、うちらもお金を払ったのだけれど、それとは別な感情で職員の方にお礼を言って後にする。
合祀される碑や、個別の墓石も奥の土地にあったが、ここは冬は、寒くて寂しいかもな・・・。


妹実家へ到着する。
彼が水を飲む時に飛び乗っていたテーブルに即席の祭壇を作り、花を飾り、写真を添えた。
一番彼と長く時間を共有した妹は、父も入院中で、これから一人で気持ちの整理をしなければいけないが、それは誰が助けてあげられるものでもなく、彼女自身が受け入れていかなくてはならないのだろう。
オイラと母は、家を後にする。


母を家へ送る前に、スーパーで買い物などに付き合う。・・・ま、ちっと飲み物とか買ってもらったりしたけれど。
オイラが家に着いたのは午後8時30分。
白石から新琴似へ行き、滝野へ行き、また新琴似へ送り、自宅へ戻る。かつて営業で日帰り遠方ツアーをしていた頃のオイラなら平気だったはずなのに、やけに心が重たく、疲れ果てた感じがした。オイラなんて、彼とそれほど時間と空間を共有した訳じゃないのにな。


ヤムさん、
うちらのことは放っておいて、闘病の疲れをゆっくり癒して欲しい。
たまに妹のことを見に来てくれると嬉しいけれど、ま、そこは猫らしく、適当に気まぐれで良いんじゃないだろうか?
普通に、自然に、それだけをお願いする。


“a spirit stays above clouds with calm mind” by SH902i