ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

「死に神」という名のスタンド


「意外にも奴らには目線がある」

今日は仕事の途中で、猛烈に左肩がひんやりとしだして、その後何とも重いような痛いような感覚にさいなまれる。
いやはや、歳をとるとこういうところの痛みに敏感になるものだねぇ。いやだいやだ。
土曜日という日は、かつてのオイラにとっては「授業がお昼で終わって、午後は自由な時間♪」というとても幸せな日だったような気がするのだけれど、今や何の価値もない曜日と成り下がっている。・・・特にテレビが面白いというわけじゃないしねぇ。まだ、戦隊シリーズ仮面ライダーを放送している日曜日の方がマシである。


さて、今日のオイラはちょっとピリピリしている。そうだねぇ・・・、沼に水泳に行って思わす足がさわってしまうと痛い目に遭うくらいにピリピリしている。かといって職場のオイラはそういう雰囲気というかオーラを出す事はない。単に接触する人間が「気を許せる人間」に限定されるくらいだ。
理由としては400字詰めの原稿用紙に1000枚くらいだってずっと書く事ができるのだけれど、残念な事に守秘義務でがんじがらめなのでネタとして放出する事もできない。そんなイライラを抱えつつも、オイラは黙って(実際は黙ると仕事にならないのだけれど)仕事をこなし続ける。
最近のオイラは変ったもので、休憩時間以外は気を抜く事はほとんど無い。常に何か情報を探してはそれを文章にまとめて記事としてリーダーに放出しているのである。それは、新しい人間が入ってきて、経験わずかなときに「不要な知識不足」で苦労しないためであったり、「急に知らない事で応対しなくてはならなくなったときに、不要な時間を浪費して顧客の心証を悪くしないため」にやっている事である。
正直、自分が向上するためとかそんな事はあまり考えておらず、何か作るのが単純に面白いだけで、だから当然文体もこのブログと同じような感じになる。と言うわけで、いつの間にか固定のファンが付いてくれているようだ。
「いつも楽しみにしているんですよ〜」
とか言われると、ちょっと困ったりするんだけれど、ま、それはそれで良しとしよう。おもしろならばそれで半分くらいの役割を果たしている事になる。


帰宅するときはいつも、ちょっとつまらない気持ちを抱えながら氷を踏みしめている。次の足を前に出すたびに
「つるっと転んで、脳漿をまき散らしつつお亡くなりになれないかしら?」
などと考える事は日常茶飯事だ。人の最期だもん、派手に行こうぜ、というのはオイラの考え方である。
脳漿。
これは実に麻婆豆腐と区別が付かないとても素敵なものである。だって、その麻婆豆腐に数多の知識が詰まっていたんだぜ?
ぶちまけちゃったら終わりだけどさ。


家に帰ってご飯ができているのはとてもありがたい事だが、それでもオイラはピリピリし続ける。
偶然昨日、玉木宏がUFOキャッチャーで「目玉が解れて飛び出したパンダのぬいぐるみ」を163000円もかけてゲットするドラマの部分を見ていたのだけれど、なんというかそういう熱い感じって欲しいよな〜、とちょっと憧れながら眺めていた。もちろん、こんな時代だから節制して慎ましく生活する事は必要なのだが、今しかやれない事というのも同時にあったりする。特に楽器や技術の習得に関してはなかなか機材などの面で費用がかかるのだけれど、それを惜しんで技術習得から目を背けていても全然前に進めない。
奇しくもオイラは無理をしてローンを組んで買ったパソコンの知恵で現在仕事ができているようなものなので、当時の出費は間違っているわけではなさそうだ。
残念ながら楽器演奏能力に関しては仕事の足しになるような事な何一つ存在しないのだけれどねぇ。
ちょっとセンチな夜は、寝る事も拒みながらしっとりと老けて行くに任せるのだ。こういうときは布団じゃ無くて、ハムスターの走る回し車の音を聞きながら、知らない間に落ちるように眠ってしまいたい。たとえ、明日の仕事がどんなに辛かろうとも。