ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

避難区域の住民にも選択の自由があるべきだし、それを保護する責任が


「同じ場所でも、同じに映らない」Canon PowerShot S95 developed by DPP


あーうー、と唸りながら昨日は終日寝て過ごした。
全くね、体に力が入らないのよ。ということで、移動も無理だったので仕事をおやすみさせてもらう。
通常なら、休みは「有給消化」というのが一般的な仕事なのだけれど、オイラのところはそうじゃない。
そんでもって、欠勤扱いになるのは良いのだけれど(ボーナス無いから、査定にもならん)、有給はそのまま残るから、休日ばかりがぶくぶく太っていくという、非常に間抜けな悪循環が生じていることを理解してない人たちがたくさんいる。3流文系大学卒業のオイラでもそんなことがわかるのに、1流の大学をでた人が思いつかないというのは、非常に滑稽で間抜けである。多分、ペーパーテストにしか向いてない人種が集まってきているのだろう。


そんで、今日もタルサが全然取れないのだけれど、ちょっとは体を動かさないと本当に動けなくなるのは介護の仕事をしていたときに、目の前にある悲劇として心に刻まれているので、何とかできることとしてギターを弾いいていた。指がとっても痛い。


途中、「世界の中心で愛をさけぶ」の綾瀬はるか版をやっていたので、しげしげと見た。ちょうど、サクちゃんの家族で鍋に呼ばれるときで、大島さと子白血病と聞かされたときの感情を隠すこともなく涙を流し、神様を恨む姿にオイラも涙を流したり、せっかくの退院でアキの家族もすき焼きなどを用意していたのだけれど、空振りになるという娘を持つおやじの哀愁もちょっと表現されていたり、石丸組はやはり名ドラマである。
かつてのTBSって、優秀だったような気がするけれど、どこぞ屋の資本が混ざり始めたり、スポンサーが必要以上に自分の会社の利益誘導をするような体質になってすっかりおかしくなっちまった。
石丸組の「仁」は喜んでみているけど。
「スポンサー」というのは、名作を残したいという現場の意欲に対して応援する。その心意気に出資して、日本全体の国民の為の番組を作り、ちょっとだけ枠を借りて自社はこういう番組を応援しているんですよ、というのが本来のあり方(これは株主の精神にも求められるものと全く同じ)だが、みんな自己利益しか見えなくなっちまったんだろうな。


夕方病院へ行く。
来たよ、1年ぶりの大腸カメラがやってくる。
非常に嫌そうに先生の宣告を聞いていたのだけれど、1年まえの悲劇だった下剤2リットルの他に、現在は錠剤という選択肢があるらしいので、それにしてもらうことにした。
それでも、前回はカメラを入れたあとに非常に悪化したので渋っていたのだけれど、
「今なら、大丈夫だわw ひどい下痢しているわけじゃないし」
という言葉に従って首を縦に振る。


自分で首を縦に振ったのだから、あとになって致命的な問題が生じたとしても文句は言わない。
それは、医者との信頼関係。自己責任の取り方。
それができない人が多くなってしまったのは悲しいことである。


2週間先の絶食セットと共に家に戻る。
そして、ギターを一人弾く。