ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

2011年10月08日のツイート


「この道はいつかきた道、そしてゆく道」 Canon PowerShot S95 developed by DPP


先日羊ヶ丘展望台に乗り込んで、写真を撮りまくったのでしばしこの辺りの写真が続く。
で、そこにオール阪神・巨人の「阪神」の方が何かの収録で「車にポピー!」と騒いでいた。
オイラが一番気になったのは、この人ってマイク無しでホールの端の方まで声が届くような声量があり、腹から声が出ている。
アナウンサーが後ろのほうで話している声を聞いてもそう感じるのだけれど、
やっぱり人にモノを声で伝える人というのは、我々とちょっと違う声をもっているのだな、と妙に感服した。


羊臭い、と思いながら永遠と草をはむ羊を見る。


彼らもジンギスカンの肉になるのかしら? と思うと、人が生き続けるのは罪深いことなのだな、キリスト教が言う「原罪」というのは
こういうことを指すのだな、と物思いにふけりながらオイラも延々と羊を見続けた。




しばしの仕事の日があり、今日は休日で自分の通院と
オヤジの外泊で家まで送ってくる。
普段は、家に送ってから何を話すというわけでもなく、おんなじ空間と時間を共有するようにしているのだけれど
オイラは今日は非常に体調がつらかった。
仕事もしてないのにつらかったのだから、余程のことではないかと振り返る。


体力が弱っているのか、自律神経系がおかしくなっているのか、それとも潰瘍性大腸炎がおかしいのか、自分で自分の体をコントロール出来ないというのは、老いの始まらりなのかしら?
としみじみ思う。


絶望自動車工場を読み終えたのだけれど、当時の頃からはオイラがいた期間工時代は2時間ごとに休憩が入るようになっていた。
その昔は、昼飯時間まで休憩なく、トイレもままならず、そして昼の後は残業が終わるまでぶっ続けと思うと、そりゃどんどん辞める人がいるのだろう、と感じた。
けれども、そんな労働でも今や安定職業として羨望の眼差しで若者に映るらしいので、
本当に不景気を続けるというのは罪なのだな、と思うのだけれど
その罪深いことを無策で継続し続けていることにも腹が立つ。


ま、大抵の単純労働は外国に丸投げするようになり、知的労働や常に目標を更新しないとすまないような人のための仕事しか日本には残らなくなってしまって、そりゃいっそ離脱したいよね、と感じるわけだ。


オイラの座右の銘は「Carpe Diem」と「Memento Mori」という、今思えばスティーブ・ジョブズが繰り返していたものと同じなのだけれど
彼とオイラが違うところは、ヤル気があるか、ヤル気がないかの違いなんだろうな、と
ふてくされて寝る生活が続く。