ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

昔から今日まで子供は嫌いだよ2021


「なかなか苦難を暗示する標識」
Canon PowerShot S95 developed by Aperture 3


6連休最終日。
いやー、本当に体調が悪いのか、精神が参っているのかしらないがずーっと家にこもっているぞ。
そして、こもっていることをもったいないとも思わない。
出かける気力もないほど、オイラはつかれているんだなぁ、と心から思う。
しかも、もう4日も風呂に入ってないし、頭かゆいし汚い汚い。
…隠居したらこんな生活なんだろうなぁ〜、と思いつつ、でもギターはちゃんと弾いている。


最近ナマポだ老齢年金だ、と騒いでいて短絡的な若い連中は
「年金納めず、ナマポGOだぜw」
とのんきに構えていらっしゃるようだ。
そこで今回は世の中のパラダイムの変換に尽くハマってきている昭和45年前後の生まれのゲストの方をお招きしてみた。
…オイラだ。


別に不幸の自慢ではないが、冷静に客観的に捉えるしか(笑うしか)ないというこの前後の年代から言わせてもらう。
子供の頃は、成人する頃には宇宙生活で期待に満ちあふれていると言われていたが、予想はかなわず、こじんまりとした21世紀が暫く続くことでがっかりした。
思春期は国公立でも大学に入ればまともに就職できる、と言われていたが就職の第一次氷河期にぶち当たった。
それでも、正社員であればそのまま年功序列でと言われていたが、実はそんなことなくずっと競争社会で、休むことを許されない世の中だった。
介護ビジネスは今後の花形のビジネスモデルと言われていたが、実に立派に底辺と言われるくらいもらいの少ない自己犠牲的な職業になった。改善の見込みも現場が疲弊しているのでなかなか進みにくい。
それでも日本は技術力があるから大丈夫と言われているが、実は世界とやりあうには技術だけじゃなんともならないことを我々は学んでいる。
原子力は夢のエネルギーと言われていて、確かにそういう側面があるが、現場はともかくそれを運営するトップたちが糞だった。


ちなみに「コスト」という日本語の語源は英語の"cost"から来ており、その"cost"の意味(名刺)は
"an amount that has to be paid or spent to buy or obtain something"
つまり、何かを買ったり得るために支払ったり消費するものの量だ。
そして、その背景にあるのは
" the effort, loss, or sacrifice necessary to achieve or obtain something"
達成したり得るために必要な努力、損失、犠牲、というものだ。
必要なモノまで削るバカを指しているのではない。


そんな世の中の変化を見てきた多分最初の世代が45年前後の人間である。
全国総中産階級が壊れ始めたまっただ中に、別に好き好んだわけじゃないが、否応なしに放り込まれてもいる。
…まぁ、戦争世代ほど悲惨じゃないけど、平和の中のちょっとした変化を敏感に感じ取ってきていると思ってはいる。


だから、うちらが60歳を超えた時に、今の年金制度が今の形で成り立っているとは到底思えないし、生活保護の仕組みも今のままではないだろう。
それなのに年金払うは馬鹿らしく、生活保護に期待をかけている言動を見ると、まるでオイラの世代の第一次氷河期を知っているはずなのに、全然予防をしないで再び氷河期時代に突っ込んでいった後輩たちを本当に馬鹿と思う。
君等が期待する生活保護はすでに、君等が歳をとった時にはないのだ。


それでも、オイラ自身非正規労働でもそれなりに暮らせるよう努力すると、かつての期待ほどじゃないけれどギターを毎日弾いて過ごせるくらいの生活ができるのだから、ある程度苦労しようよ、とかんじるのはオイラが厄年だからか?


ま、オイラの場合いろいろ医療費の補助とかおりるくらいの病気を抱えて、そのレベルで頑張っているのにすぎないけれどねぇ。
期待するな、という言葉は自分を守ったり生活を守るための大事なキーワードになってしまいました。
そんな日本じゃないほうが良いけど、無意味にラテン気質よりはオイラは好きである。