ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

人生を振り返るといつも、自分という奴が居る


「部品の製造というのは実に地道で意味不明」Canon PowerShot S95 developed by Aperture 3




ここのところ血便を伴うひどい下痢でござる。
仕事のストレスから解放されたからといって、生活を続けていくストレスから解放されているわけじゃないので、次の仕事を探したり、お金のことを心配したり、正直永遠のお休みなど死以外にありえないはずなんだよなぁ。
オイラは宗教を嫌うのは、死んでも魂は残り続けるという概念がたまらなく嫌だから何じゃないか?
そういう風に解釈されるのではと自己分析もしてみた。
制度として傷病手当というものが公的にあるが、開始からの時効は2年。最大給付は1年6ヶ月。
一生続く潰瘍性大腸炎としては、このタイミングで開始させてしまった時に、のちのち激症期が再発することを考えると二度と使えない制度をここで動かうのはキツイものがある。
今なら、まだ若いのでなんとかなると考えるのが普通で、神経症のように一時的非難でなんとかなりそうというものでもない。
そのメンタルもかつて給付を受けて、時効成立なのでもう二度と使えないわけだし。
無職がのんき、という時代は高度成長期以外には成立しないものなのだ。




さて、仕事の後期はほぼクレーム処理係になっていてそれは非常に苦痛なことではあったのだけど、
どちらかと言うと実はクレーム処理とかそれに伴う成績にはそれほど圧迫された、という印象は無い。
ぼーっと、自己分析を続けていると基本わからないことは何でも知りたがり、調べたがりのオイラは
クレームですら
「なんで、こんなに怒っているのだろう」とか
「怒らせる結果になったのだろう」というのを
単純にそのプロセスを知りたかったし、調べたかっただけだとわかる。


これをすると意外と自分のためだけにやっているはずなのに、傍から見ると一生懸命やってくれているとか、親身になってくれているという誤解が発生するようだ。


不満が発生するにはそれに見合ったプロセスがあったし、そうじゃない場合は極度に依存的な人であるか、
世界が自分を中心に回っていると勘違いしている人に限られる。
そういうのは5分話しを聞いているとわかるようになってしまうものであった。


そういうことを鑑みると、やっぱり自分が進学する時には心理学をやっておくべきであって、偏差値が高いというだけで大学を選んではいけなかったのだなぁ、と根本的な問題が理解されるのである。
今から3年入学をして、心理学の学位をとって、大学院、そして研究職というのが調べたがりの自分に最もあっていた道なのだな、と45歳を手前にしてやっと分かる。


そういう時には、主にお金の問題でどうにもならない人が過半数を占めるのだけど。