科学とQOLは無関係では無いのだけど、割とカネがかかる……
……もとのはてなダイヤリーは更新がなされず
「死んだか?」
と思われるだろうけど、そんなブログ引っ越しも良いのかもしれない。
もともと、部室の寄せ書きノートから書物が好きになったオイラ。
Dreamcastで初めてネットに接続して、かつての名古屋の知り合いやら、なかなか仕事で会えない札幌の友人と面白おかしく言葉のやり取りをしたかったのだけど、
人の嗜好はそれぞれで、思ったようには交流が広がることもなく、気がつけばその時時の愚痴を書いたり、思ったことを書いたり、
誰かに向かって書いているわけじゃないのに、もう十数年ブログのような形を続けている。全くのサーバーの容量潰しだ。
さて、アフィリエイトという手段にもゲンナリしているし、書き続ける意味は何処にあるのだろうね。
先日は赤平の田舎に行ってきたのだけど、
元炭鉱町と言うのは真面目にゆっくりと寂れつつあるなぁ、と寂しくなるものである。
……なんか石炭をミラクルな技で環境を汚さず石油に変換したり、エネルギーに変えられないものかね? というか、そんな錬金術みたいなことができるなら、水から石油に変えるほうが手っ取り早いので、やっぱり炭鉱町は廃れるのかしら。
価値が埋まっている場所に人が集まり、賑わって、枯渇すれば散っていく。
そんな歴史は石器時代から繰り返されてきたのだろうけど、狩猟採集型の生活がベースにある動物というのはそんなものなのかな。
かろうじて品種改良で農作だけが、可能な限り同じ場所にとどまろうという努力がなされているけど、
地球がひっくり返るような気候の変動があれば、そこまで対応できないのでやはりベースは狩猟採集がベースであると考えるのが自然だろう。
……思い出だけで食えないのかなぁ。
ということはオイラの人生で何度も何度も繰り返し考えてきたものだけど
背中を押してくれることがあるけれども、それだけじゃ食えないんだよなぁ。
そんな意味では生きることって難しい。
脳みそだけ取り出して、ずーっと進化していく未来を見続ける実験台にならいくらでもなるんだけどな。
てか、足腰が弱くなったじいさんばあさんに会うたびに、はやく重力をコントロールする術を発見、開発、汎用化して欲しいところだ。
それがあれば障害を持つ人のQOLはずっと向上する。