いつまでも良い子でいようとするのは、自然なのかな?
特訓というのは、往々にして孤独なものだ
理由
なんだかんだ言ったって、自分の力不足をほれほれ感じろ、とばかりに時間をすごくわけだから
背景
歳をとった、と言うのは理由にならないのだけど、
思いの外、オイラの能力値というのはダメダメに思えて仕方がない。
前に自信があったのはいつだったろうと考えると、
国語の偏差値が70を超えたくらい。
……思えば、自然と70を超えたというよりは、浪人から真面目に国語をやり始めて、気が遠くなるような繰り返しと、お金を消費した結果として超えたということだった。
そりゃー2年もかければ、大体の人は(飽きることがなければ)それくらいの能力が身につくもんだ。
例えば、これが新卒で結構でっかい会社に入って、手厚い体制でトレーニングをしてくれて、且つ、食べるにも困らず、簡単に首にできないような労働組合があれば
ちっとは心に余裕もできて、飲み込みも早くなるのかもしれないが。
オイラの場合、心理的圧迫を受けると
まーまー、うまくいかないときの方が多い。
勝手に放置されていると、自然と自己学習をして成長する、と
自分なりに分析しているのだけど、
……今時、そんな流暢に待ってくれる会社というのは無い。
予め、障害者枠として採用されたならいいのだけど、給料が低く抑えられていて
期待以上に成果を出したからと言って、給料が上がるとは限らない、と思うと
自分の身の丈にあった仕事をするというより、結構無理をしてしまうことになる。
この病気の悪い方の結果はおおよそ自殺というところに落ち着くのだけど、
そうさせまいと、社会は親切心たっぷりな顔をして、見守ってくれる表情をしながら
結果を速くと求めてくるものだ。
そこで、特別カリキュラムとしての特訓というのが世にあるのだけど
意外とその立場にいると、しんどいもんだ。
いっそ、殺してくれちゃってかまわないんだぜ、と感じるくらいに孤独に思うことがある。
ま、黙っていてもこの難病と精神病で、職が無かったら何らかの形で死んじゃうんだろうけど、
もっと役に立ちたいもんだよな。せっかく、産んでくれて、良くしてくれる親がいるうちは。