頼りがないのは良い知らせ、なんて寂しい思いを親にさせるものではない。
溺れそうな息苦しさ。
そんな嫌な空気にまとわりつかれたかのようなこの2ヶ月であった。
あっという間に、四十九日法要も終わってしまったし、祭壇にでかい遺骨が無くなると、いよいよ本当に寂しい感じになってしまって。
足の悪いばあちゃんのために80歳で家を立てたけれども、ばあちゃんは老健にいってやっと体重がへり、負担が軽くなったのか元気を取り戻したのに、そんでも家には戻れない。
断片的に蘇る赤平と往復の日々。
仕事は仕事できっつくて、残量をして人よりたくさん量をこなせれば追いついたかもしれないけど、土日には人として潰れているような暮らしではそんなことも難しく、
結局、別の部署へ異動が決まったり、
明け方は血圧が高いみたいで、寝苦しさに押しつぶされそうに嫌な夢ばかりを見るようになったり、
なかなかスッキリとした生活ができなかったこの2ヶ月。
これからは冬になり、特有の冬の鬱期に入ったりするんだけど、
なんだか楽しいことを見つけて無理してもやるようにしないと、
ふっと心が持って行かれそうになったりする。
ま、そんなことを今は言わなくなったけど。
オイラの場合、泣き言を言わなくなった時が一番やばい、というのを自分でわかっているのだけど、
おつかれさん、とばかりにこの世とおさらばするとどんなにか楽なんだろうな、と思うのだけど、
じいちゃんを見守り続けた後では、苦しくても生き続けないと行けないと言い聞かせてもいる。
昔みたいに、物欲で心を満たすこともできなくなってしまったので
今は何に集中すればいいのかもよくわからないまま、
結局、宙ぶらりんで良い状態にもならないかな。
まぁ、そんな時はまた新しい仕事になるので心を潰して、集中しているうちに何か見つかったりするのかしらね?
昔の先人たちが、余裕なく生活して、その割に人の心に残る技を成し遂げたように。
なんだろ?
今は、音楽かな?