室温30度超えたらねれないべさ。
仕事中、本年度最高気温の34度の温度計を見ながら、ぼちぼちと作業のように暑さに耐えながら捌いていた。
今日は、キタねぇ~。
朝方は湿度も高かったし、湿度が下がるに連れ、気温が上がり、いや逆か?
こういう頭がイカれてあんまり考えることができない状態で、仕事というものは量をさばけるのだ。そして、それは忙殺的且つ洗脳的作業であり、右肩上がりの資本主義成長を支える原動力でもあるのだ。
と、ワタスは思った。
…いいのかね、文化的と言われてソコを目指していたはずの仕事改革は、結局の所洗脳的圧力と思考能力の停止状態によりようやく実現できるのだ、とワタスは強く思った。
また、何があったというわけでもなく物悲しい憂鬱期に入ってきたので、正直誰とも話をせず隔離された仕事状況や生活環境というのは楽である。
かつてラインでお仕事をしていたときも、狭い狭い自室と、職場を行ったり来たり。
そんでも、自分で掃除する必要のない浴場で汗を落とし、エアコンが聞いた自室に引き込もりテレビで何を楽しむでもなくボーッと眺めて、食事は食堂に詰め込まれてカロリーの高いものを急いで詰め込んで、洗い場のパートの方にでっかい声で
「ごちそうさま!」
と言って、洗い物するわけでもなくトイレに行って糞をひねり出すという、なんとも言えない生活でも、しょうがないと気持ちの整理がついているとなんとかなるもんだったな。
今や、理想と現実と改革と抵抗が四面楚歌でぶつかり合ってくるから始末が悪いのだろう。
次世代の中年たちはなんとなく頑固に偏ることなくうまくいなして、この世界をスイスイと生き延びていってほしいものだ。
ドローンタクシーが一般的になるまで、生きることを推奨する。