障害のジレンマ
情報がネットで共有されるので、障害を持つ人への考え方というのはほぼ欧州を中心とした概念に固定されつつあるのは多分間違いのないことだろうと思う。
人にやさしく。
基本的に、ちょっとひねくれたふりをしている人でもおおよその人はこの概念を何らかの形で心に持っていると思う。
だけど、国によって豊かさとか予算とか、喫緊に優先順位を上げて取り掛かからなければいけないことがバラバラなので、ちょいと障害の持つ人への対応が後回しになると
「遅れている」とか「優しさが足りない」とか指を刺されたりすることもある。
オイラはインナーマッスルに障害を持っているので、正直通勤の地下鉄とかシルバーシートに座っても良い立場なのだけど、こういう風潮があるので無理をして立って通勤をし続けて、出勤ご仕事にならないほど疲れたことが何度もある。
100%標準化された概念なんてものはないし、殺人が悪いと言ってもそれを快楽的に実行する人が存在するくらいなので、障害を持つ人へ優しくというのは、現在できる範囲で構わないと自分の身に対しては思う。
幸い日本なので、なんだか駅に放置されても1日くらいは生きて過ごすことはできるだろう、というどんぶり勘定な考えなのでそれでいい。
これが今のミャンマーとかエチオピアとか弾丸が飛び交うような国に住んでいると事情がわかるのだろうけど、経済規模からして彼の国ではまだまだ障害を持つ人へ対応はかなり後回しになるのだろうと思っている。
解決する方法なんてないのだけど、気分を収めるにはディベートを心ゆくまで実施してハイタッチで解散する方法を取るか、予算がない地域、国などについてはどこかが音頭を取って、寄付で均一に福祉が当たるようにすると、消費者の分母が増えるわけなので、決して無駄な投資とも考えられないことはない。
…そんなことをしないからお金をたくさん貯めることができるのだろうけど、ね。