ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

秋の月の明かりは、自らの鎧をすべて削ぎ落とす


「あっさりめ」 iPhone3GS by pict.Edge


昔から、「病気を苦に自殺」という言葉を聞くたびに若い頃のオイラは、
「んなもん、放っておいたって死ぬんだから、わざわざ自殺などしなくてもいいのに」
などと思っていたのだけれど、最近考え方がかなり変わってくる。


自分の事でいるならば、朝昼晩、膨大な種類の薬を仕分けして飲むのが面倒くさくなってきた。
これは朝夜、これは毎食後……。とチビチビやっているのがむなしくなる。
で、こっちの病気がよくなると、今度はこっちの病気が悪くなる……、終わりの無さそうな循環状態。
体力が落ちてくると、やりたい事もできずに、仕事して帰ってきて倒れるように眠る日々。
ま、お金で苦労する事はなくなったけど、その代わりに冒険する事も無くなった。


それが悪い事とは言わないけど、だんだんだんだん面倒になってくる。
お金に心配が無いのも公費の負担を受けていたり、当然そういうのんがまるでなくなると途端に生活が成り立たなくなる。
鬱から訴えるのは、
「おまえ、それほどコストかけてもらって行きている価値あるのかよ」
という自問。
……まぁ、たいして生きている価値というものは自分には感じなかったりする。
と言う事で、病気にかかる人は、病気から鬱のような症状を併発して、面倒くさくなったり、自分ばかりを責めて死んでしまうのだろう、と一定の理解を示す事ができるようになった。


自殺は問答無用でだめ。死ぬ気になればなんでもできる。


この考えは、年間3万人以上が絶望なのか、楽になる事に希望を持ってなのか分からないけれど自ら命を断つ、という現実の解決には全くならない。
崖の向こう側にいる人達に、安全な場所からわめているようなものだ。


けども、現実としては放置する意外に対処策が無いのも現実。たまに運がよくて素敵な出会いをすると、それは思いとどまらせるに十分なのかもしれないけれど、とても少数だろう。


そんな訳で、免疫抑制剤が入った瞬間に一気に自己管理があまりに面倒で、破綻しそうな今日この頃。