ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

著作物は、必要以上に商売の道具にしてもいけない


「空は晴れるか、雲に変わるか」Canon PowerShot S95 developed by Aperture 3




はい、久しぶりの更新です。
単純に加齢による疲れでものを書く、ということができなかった。。。
ううぅ、恨むぞ加齢。


そんな中、いつかは小説家になって会社を辞めてやりたい!という中年男性の星となったのは芥川賞受賞の又吉直樹氏。ちょっと変わった人だけど、本を読み続けるというのは一定のスキルをもたらし、そのスキルが平穏な出来事に華を添える。それが人の心に残る。
そういうことに携われるというのはきっと幸せなことなのだろう。
ま、吉本が印税の半分を持って行くとか食傷気味なニュースもあるし、昨日テレビを見て小室哲哉氏を見ていても、著作権というのは本来生存中は売買できるものではなく、あくまでもその本人に帰属する。
たとえ、生活に困ったとしても自分の著作物として売買できないような責任を負うものであろう、とオイラは考えてしまった。


それと、書きたくてもこの時期まで書けなかったのは改正安保法案だったのだけど、
集団的自衛権とか、実はオイラはリベラルなタイプではないのでどうでもいいんだけど、この中途半端な状態で批判を受けるなら、自立した国家としてアメリカの占領下からはっきりとした形で独立するために、自発的は憲法(平和を尊重する記載があることが望ましい)の策定と、本当に自国を守るための軍隊が必要とは思っている。


なぜ軍隊なのか?とはよく言われるけれど、軍というのは何から何まで軍の中で完結できる組織であるからでもあり、防人はもっと尊厳が与えられるべきものと思っているから。
武器を取れない、取らない、主義により参加しない人もまとめて守る人というのは、きっと何処かで必要なのだろう、と思う。
そこに、暴走があるのならば、それまでの民度ということとオイラは感じる。
おもいっきり非難を受けるべきだろう。


それと同じことは死刑制度にもいえて、死刑制度がないアメリカの州などは防衛のために犯人を射殺してそれほど罪に問われないなど、その凶悪犯の処遇を国として責任を持つのか、警察の一組織、一隊員として責任を負わされるのか、の違いと感じている。


なかなか、考えることも多く主張ばかりして中身が無いということを避ける年齢になってきたということなのだろう。