ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

寝過ぎたり眠れなかったり、あたしゃどうしたらいいんだい




「気が付くと窓の外ばかり見ている」Canon PowerShot S95 developed by Aperture 3




今日床屋へ行った。
いつものようにしっぽはまだ切らない。
床屋さん、ここ数ヶ月でちょっとばかり料金が上がったのだけど、それにしてもオイラが小中高くらいの相場が3000円前後だった事を考えると随分と値下がりしたものだ。


今日は座っていると、何かバイキングが得意の斧で右の方をガンガンと打ち付けたあとのような突っ張った痛みがずーっと続いており、椅子に座っているのも苦痛だった。
たまに、タイミングとして座っているのきつい時がある。
そういう時に限って、謎のサービス肩もみはソフト目なんだよな。


店内にはラジオがかかっており、株価とか経済のニュースがずっと流れていて、
大学まであんなに毛嫌いしていた経済、経営学も抵抗感なく受け付けるようになった。
多分、経済と経営の何かにオイラ自身が不満で怒っているからなんだろうなぁ、と思う。




床屋さんのサービスは決して料金が安くなったからといってクオリティダウンしているわけじゃない。
QB Bar的な斬新なサービスと闘わないと行けないから下げざるを得ないのだろう。


日本が超高度成長期だった時、日本の物価価値というのはひどく安く、ドルがとっても強かったので、他の国から見て価格が安くても国の中ではしっかり食えたし、将来に夢を持つことができる右肩上がりだったと思う。
もともと日本はオリジナルを低コストでリメイクして付加機能をつけることができたので、成長戦略にあっていたんだろうね。
いまや、その役割は韓国から中国へ行き、タイやベトナムインドへ移行しようとしている。
いいものを安く!とすると、自ずと自分たちが食えないレベルまで価格を落とさないといけなくなった。
まぁ、右肩上がりで夢を追い続けた日本は、どうして自分の首を絞める羽目になったのだろうか。


頑張っても努力しても給料は安い。
そんなことを髪を切られ、ラジオを聞き、理容師さんの頑張りに触れているととっても悲しい気持ちになってきた。
そんなに日本人の仕事って、価値が無いのかなぁ、と。


買い叩くくらいなら売らねぇ! という職人さんはかつて日本のいろいろな場所にいたのだけど、もうそういう時代じゃないのかな。
多分、ロボットとか専用工具で量産ができるものはいくら日本人が品質で努力しても、どっかのAppleみたいに鏡面仕上げをよその国の工場に持って行ったり、先日もピンの製造を技術がわかったらもっと安い別の工場に発注したりして、出し抜き合いなんだよな。


かろうじて、外国人が日本のものじゃないとダメだ、と評価してくれるのは工程の殆どが手作りになっている製品なのだろうと思うけど、職人も自分が食える価格をつけたり、材料が高額なので結果高いものを作らざるを得なくて、それでの品質が認められて生産が追いつかない、という現象になっていると思う。
この、「必要な材料費、自分が普通に食べていける価格」というのがとっても大事な値段設定で、低価格競争に巻き込まれないために大事で、コストは重要で無理に削るものではない、ということを体現しているのだと思う。
全面的に、日本がそんな時代に戻るとは思えないけど、心のなかではそいいう会社を今でも応援しているんだよね。
ライターはsaromeとか。