ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

リビングウィル法 9 by 中崎ぱけを




入院前日、僕は区役所へ行った。
窓口は実に混んでいたが、僕は入院前に柏木さんと話がしたかったので、彼女の面談が空くまで次々に後ろの人に順番を譲って調整をした。・・・おかげで1時間も待つ羽目になったけれど。
やっと順番が回った頃には、再び夕暮れ。・・・まぁ、僕がいつも日中を避けて行動しているのが問題なのだけれど、あまり仕事もしてない風に近所をブラブラしていると世間風当たりは激しいのだ。
「お待たせいたしました。今日はどういったご用件でしょうか?」
予想していたとはいえ、彼女は仕事中なのできちんとした対応で僕に接する。
「はい、リビングウィル法のことだったのですが、色々考えてすぐに申請するのは辞めることにしました。」
「それはわざわざご報告ありがとうございます。そうであるならば、大村さんは今まで通りの福利厚生を国や自治体から受けることができます。・・・がんばってください。」
「はい、入院して治療することから始めてみたいと思います。問題は山積していますけれど、あなたのような方々が居ることを知って、少し希望が出てきました。」
恵さんは、何のことかしら? と言う風な表情をしたけれど、特に明確に意味が伝わらなくても構わない。
「今日はそれだけです。お忙しいところ失礼しました。それと・・・、」
僕は立ち上がり椅子を直しながらつぶやいた。
「電話の類は全部直しました。では、ありがとうございました。」
「はい、お大事に・・・。」
そういって僕は区役所を出た。

その夜、僕は恵さんから電話の1本でも入ってくるのじゃないか? と思ったがそんなことはなかった。
「道案内か・・・」
確かに彼女はその役割を果たしたのだろう。
何度か母から電話があり、荷物の準備はできたかとか、入院受付に付き添おうかとか、その手の電話をたくさん書けてきたが、その度に
「・・・子供じゃねぇよ。」
と反論しておとなしくしてもらうことにした、もっとも絶対明日は来るんだろうけれどな・・・。
僕は最後に院外の薬を詰めるのを忘れていたので、睡眠導入剤をきちんと1錠服用して、安定剤及び向精神薬を2錠ずつ服用してから鞄に詰めた。しばらく、英語の教材テープを聴きながら、ふんふんと理解しようと努めていたが、能力以上に高いレベルの会話テープだったので、ほとんど意味がわからない。まぁ、6ヶ月聞き続ければ突然聞き分けられるようになる、と言う伝説を信じて日課にしているだけだ。やがて吸い込まれるような眠りがやってきて、そのまま僕は眠りに落ちた。


翌朝は小雨の降るよくない天気だった。僕は、
「雨だ、雨だよ、涙雨〜♪」
と縁起でもない歌を歌いながら、カバンを背負い病院へ向かう地下鉄の駅へと向かった。荷物はそれほど多くのものは詰め込んでいない割にとても重たく感じられ、昔『ベンハー』という映画で見たキリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かうイメージを思い返していた。まったく、縁起でもないよなぁ〜と感じていたが、僕の中の「壮大な縁起でもない映像のフラッシュバック」は病院に到着するまで続いた。
入院なんてものは、何度かすると慣れっこになってしまうもので、僕も適当に指定された用紙に必要事項を記入し、受付に提出。そのまま詰め所へと向かった。丁度引き継ぎをしているところなのか、看護師達は机を囲んで話し合いをしながら懸命にメモを取っていた。僕が、
「すみませ〜ん。今日から入院する大村です。」
と窓口から話しかけると、全員がこちらをギロリと見た。一瞬たじろいだが、一番若いと思われる(つまり、一番使いっ走り)看護師がこちらにやってきて、
「はい、大村さんですねぇ。伺ってますよ。これからお部屋を案内しますね。」
そういって、師長とおぼしきガタイのよい看護師に許可を取ってから僕を案内してくれた。
病院というのは嫌いではない。スッカリ慣れっこになってしまっているせいもあるのだが、何となく漂っているニオイが日常生活のものとは違って刺激的なのである。僕は若い看護師の後ろについていきながら、しばらく歩く。
・・・ってか、凄い歩くぞこれ。
そんな風に病棟の一番奥、非常階段がすぐ横にある4人部屋に僕は通された。4人部屋なのであるが、手前の部屋から順次患者を詰めているのだろうか、その部屋はその時点では僕一人になるようだった。まぁ、他人に気を遣わなくてよいのは楽で良い。夜中のお化けは暇つぶしになるしな・・・。
僕は指定されたベッドに座り、荷物を床に置いた。
「後ほど、入院に当たっての説明にまた来ますから。」
そういって若い看護師は再び病室を離れ、引き継ぎに戻っていった。
病室はベージュ色に塗られており、カーテンも同色で統一されていた。・・・一番日焼けが目立たない色だという。それにしても静かな病室だ。一番端の部屋なので窓を開ければコンクリートの壁かと思いきや、実はとても素敵な景色が広がっており、柔らかい日差しがベッドの縁の方まで差し込んでいる。
僕はもそもそとカバンを開け、備え付けのロッカーに頻繁に使うであろうものを取り出してしまい込んだ。
そのロッカーというかワゴンの上には液晶テレビ。きちんとプリペイドのカードを差さないとうつらない方式のテレビだ。・・・まぁ分解して不良動作を起こすことなんて、実に簡単なんだけれど。などと思いながらも基本僕はテレビを見ないので放置しておいた。やがて、僕は靴を脱いでベットの上に横になり、優しく吹いてくる風が揺らすカーテンを見つめながら半分起きているような、寝ているような・・・。そんな、微妙な静けさの中で体を休めた。
すぐに看護師がやってきた。
「こんにちは。宮原と申します。」
と先ほどの一番若い看護師がなにやら書類を抱えて挨拶に来た。
「お体の調子どうですか?」
「たまに咳がでる位で、これと言って自覚無いんですけれど・・・」
「そうですか。えーっと、今お時間よろしいですか?」
「いいですよ。」
「じゃ、入院に関しての留意点を説明させていただきますね。消灯は午後9時。朝は6時に起床のチャイムが鳴ります。そして、朝ご飯が7時位。お昼が12時で、夕食が6時になります。」
うん、と言う感じで僕はうなずく。
「院内及び敷地内は禁煙になっておりますので、どうしてもと言うときはこっそり門から外に出て左手に灰皿が設置してありますから、そこで吸ってください。ご近所から苦情があるので、投げ捨ては厳禁です。」
・・・はいはい。
「あと入浴は必要なときにはいることができますが、浴室がこのフロアには1箇所になるので詰め所で予約を入れてください。」
・・・はいはい。
「あと、テレビをごらんになるときは詰め所の前にプリペイドカードの自動販売機があるので、購入してくださいね。それと、基本的に病院の栄養士がカロリーやバランスを考えて食事の献立を作りますので、売店でバクバクお菓子なんかは食べないでくださいね。」
・・・大丈夫、動物園の猿山の猿じゃないから。
「それと、これはレンタルの日用品の一覧なんですけれど、できれば院内感染の予防のためにもタオル類や寝間着を始め、なるべくレンタルのご協力をしていただいているのですが、・・・よろしいでしょうか?」
「はい、わかりました。良いですよ(・・・面どうくせぇ)」
「後は、提出していただきたい書類難ですが、連絡先や身元引き受けや保証人をいただきたいのですよ。ご家族の方で結構なんですが、2週間以内位までに私たちに提出してください。それと、これが手術同意書になります。こちらも、身元引き受けというか連絡できる方のご氏名、ご住所を記載してください。」
「手術はいつですか?」
「えぇーっと・・・、後で先生が回診にいらっしゃるので、そこで何らかの説明があると思います。」
「わかりました。」
「このテレビの下には小型の冷蔵庫があるので、冷やしたいものがあったらご利用ください。後は、これがナースコールのボタンです。使い方はわかりますか?」
「はい、わかります。」
「では、これくらいなんですが何かわからないことがあったらすぐに聞いてくださいね。・・・車いすとかは必要ですか?」
「いや、イラナイです。」
「はい、わかりました。では・・・、夕食までは今日は特に何もないのでゆっくりくつろいでくださいね。」
「はいー、おつかれさまですー。」
・・・実にやかましかった。声質が高いせいなんだろうなぁ。なんだかアニメのヒロインがしゃべって居るみたいで途中から頭痛がしてきそうになったぞ。
再び病室に静けさがやってきたので、僕は過ごしやすいようにベッドの回りをチョコチョコと日用品で固め、のんびりしようと思った。
しかし、そこに母親がやってきた。・・・やっぱり。
僕がベッドから起きようとすると、
「あ、いいから。寝てな。私が荷物とか出しておくから。」
・・・せっかく自分が心地よいように並べた日用品を母は完膚無きまでにその配列を破壊し、見た目に美しい配列に変更した。
もはや、注意するのも面倒だったので、そのままやってもらうがままにしておいた。
一通り作業が終わると、
「ゆっくり寝てな。私、本を読んで適当に過ごすから。」
そういって部屋に入ってくるときにもってきた缶コーラを開けて、自由にくつろぎながら本を読み始めた。
・・・何となく落ち着かない感じがするのは僕だけか?
それでも血の繋がった肉親で、とくに気を遣うこともない母親である。次第に雰囲気に慣れてきたので再び僕はうつらうつらとし始めた。
そこへ、今度は例の医師がインターンと看護師を引き連れて回診にやってきた。
・・・ここは自分の家より落ち着かなくて、うるさい。
「大村さん、よろしくお願いします。改めて私、矢口が担当します。コイツは研修中の山辺と言いますが、気にしないでください。特に貴方の処置をするというわけでもないですから。・・・あ、たまにちょっと手伝ってもらうか。」
・・・どっちだ?
「そして、一応メインで担当の看護師の宮原です。彼女は先ほど資料をもって伺いましたね?」
はい、と僕は応えた。このキャンディボイスをほぼ毎日聞くことになるかと思うと、少し気が滅入ったが、病人なんだ。贅沢は言えねぇ・・・。
「そして、手術の関係なのですが。」
矢口医師は改めてという感じで話し始めた。
「今週、と言ってもあと2〜3日ですが、いくつかの再検査をします。そして、そのデータを元に我々が手術プランと日程を決定し、カンファレンスの中で大村さんにご説明し、了解をいただければ手術、と言う段取りになります。早ければ来週の水曜日が手術日になりそうです。」
「そうですか。お願いします。」
「えぇ、こらから一緒にがんばりましょう。」
母も医師に挨拶をして、インターンやら宮原さんやら、声であふれかえる。・・・手術の時だけ出勤してくるのが一番よかったような気がする。・・・うるさくて落ち着かないぞ。
嵐が過ぎ去っていったのは、夕食が終わり時計の針が8時を指す頃だった。その頃には就寝前の看護師のバイタルチェックも終わり、次第に年寄り達から眠りについていったようだ。病棟には若い人間は僕位しか居ないようだった。夜になると、帰省したときの田舎の祖父母の家のようにひっそりと静まりかえり、すぐにも寝れそうな気配だった。
けれども、実際には夜中の方がもっとうるさかった。頻繁に開いたり閉まったりする玄関付近の扉。酔っぱらった声で
「いてぇから、早く薬打ってくれ〜!」
と叫ぶオヤジの声。痛みで眠れないのか知らないが、塀の外にたむろしていた人々は、がやがやとこの時間になって世間話などに話を咲かせているらしく、まるでお通夜で一人先に布団に入って眠るような落ち着きのなさを感じる。
まぁ、そのうち慣れることを祈ろう。慣れなかったら病室を変えてもらうように交渉しよう。それで駄目なら国を恨んでやる。
そう思っているうちに疲れで結局ぐっすりと寝入った僕であった。