ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

網走番外記

8月19日、理由はあえて伏せておくがオイラは日産マーチに荷物を積み、妻を積み妻の実家である、網走市の隣町である原生花園で有名な小清水町へ行くこととなった。なんとなく、護送される被告人のような気持ちだった。
しかし、久しぶりに有料高速道路に入ったオイラはノリノリだった。何せ日産マーチになってから高速走行など全くすることなどなかったからね。それはもう、雪祭りの滑り台に並んで、やっと自分の番が来た時のように嬉しかったさ。そこで、オイラは調子に乗って200kmを目標にアクセルを踏み込んでみたが、残念なことに120を超えたあたりで、
「正直スマン…」
と、マーチが泣きを入れてきたので、許してやることにした。意外と手応えのないヤツだ。それにしても、高速道路という割にはアップダウンはあるし、カーブも意外とブラインドを含めた回転半径のキツイ場所もある。まぁ、仕方がないだろう。余り見通しがよすぎてもポリゴン落ちするから、そうならないように国のえらい人が起伏をつけて制御しているのだろう。意外と大したことのない、オラ達のスペック。
とりあえず、そんな動きをしながら夕方5時過ぎに妻の実家に着いたわけだ。そこで、お父様と事情について明治天皇へ報告する乃木将軍のような気持ちで陳情した。最後には嗚咽して言葉も話せなかったが、明治天皇のごとくお父様は優しく肩を叩いてくれた。うむ、二百三高地の名シーンのようである。その後、恭しくお母様の作られた夕ご飯をありがたく頂戴し、旅の疲れをいやすようにアテネオリンピックの様子を確認して、12時過ぎに眠りについた。あ、当然マイスリーはODな。
8月20日
昨晩自分としては、かなり早い時間に眠りについたのだけれど、お母様よりもっと早く寝て規則正しい生活を送るようにと、お言葉を頂戴する。さぁ、自分では意志決定の出来ない暮らしのスタートだ。がんばれ、オイラ!オイラ、チャチャチャ!
で、この日は何をしていたのかよく覚えていないのです。何をしていたっけなぁ。
かすかに覚えているのは、自宅であれば写るはずのないNHKが延々と流れていることだな。後は、お母様は朝も早くから選択をするなどしてこまめに働いている。うー、これは年を取ると当たり前の生活リズムなのか、それとも個人的な趣味なのか、それは解らない。とにかく、オイラは人並み外れた世界で暮らしてきたようなものだから見ること感じること、意外な事だらけでビックリだ。確か今日は金曜日だったのだな。おそらく、せかチューを見て感動していたような気がする。しかし、集中して喜怒哀楽を感じる余裕などオイラにはないさ。はてさて、ああ探偵事務所も見たような気がするのだけれど、どうだったか覚えていない。うぅ、マイスリーのODが記憶関係に障害を与えているようだ。
ODは正しく行いましょう。 by 夜回り先生

後は覚えていないので、ノートに走り書きを始めた8月23日からに話を振ろう。
この日は、網走監獄博物館へ行く。網走番外地で有名なあの刑務所である。なんと言っても驚きなのは、こんなボロな施設が昭和58年までまじめに使われていたことだ。受刑者も大変だっただろう。網走管区では犯罪を起こすべきではなかったな。ちなみに入場料は大人一人1050円だ。しっかり消費税を取るらしい。で、ハッキリ言って期待していなかったんだよね〜。こんな田舎だし、「何を展示するものやら」、と言う感じでさぁ。しか〜し、入って驚く網走監獄。入れられて悲しい網走監獄。さすが年中無休だぜ。入り口を入ると、池に橋が架かっている。鏡橋と言われ、入所させられる受刑者は必ずこの橋を渡る。その時に水面に映った自分の姿をみて、罪を深く実感したという逸話が書かれていた。イソップ物語のように教訓めいた解説だった。もぎりのお姉さんから「いらっしゃいませ」の言葉とパンフを頂く。生き地獄の解説書だ。入るなり目の前に赤煉瓦で作られた正門の一部がで〜んと待ちかまえている。むー、いきなり明治時代へタイムスリップだ。明治村とどっちが明治だろうと真剣に考えた。まぁ、ここは入り口でいただいたマップに従って回ることにする。しかし、この博物館、至るところにリアルな人形が突っ立っている。体がぶつかって思わず「あ、すいません」と言ってしまいそうになるくらい、リアルだ。こいつら夜が更けてもすっと立ってるんだよな〜。イヤだな〜、夜中に来たら実はゴッツイしゃがんで休み込んでいたりしたら…。
一番の戦慄のポイントは、囚人達を未開の北海道の縦断道路を造るために引っ張り出して、適当な場所に作った小屋に押し込めた様相だ。所謂タコ部屋の原形になったものである。枕などは丸太一本を横にしてそれにみんなで頭を乗せる。で、起きる時間になると刑務官殿が丸太をひっぱたく。振動でみんな起きる、と言う人権は全くないが、合理性に関しては素晴らしい寝床なのである。で、わらぶき屋根の小さな小屋の入り口をくぐると…
寝ているんだよ〜。20人くらい!
しかも、電動で辛そうに足をさすったり、涙をふいたりして動いてるんだよ〜。不気味なんだよ〜。リアルなんだよ〜。寝れないんだよ〜。
この異常とまで思える執念でリアルに人形を再現するパワーはどこから出てくるのだろう? そして、気配を感じて振り向くと、明治の役人の制服を着た(サーベルをぶら下げた)刑務官がこちらを見ている。
「フハハハハハハァ! オマエを蝋人形にしてやろうかぁ!」と言っているようであり、これにはオイラも心の教祖、デーモン小暮閣下に、
「それだけはご勘弁を!」と祈らずにはいられなかった。
そして、有名な中央に監視部屋を配し、5方向に伸びた牢獄を見るわけだ。雑居房は3畳一間くらいの大きさで、板張りにゴザを敷いた生活。しかし、トイレにはガラス製の扉が付いていて、臭いもバッチリガード(そんなわけない)。独居房はもうちょっと扉は頑丈な感じで、トイレは70サンチ(フランス風)くらいの高さの板があるだけで、後は猫の砂状態だ。まぁ、一人ならいいかな…。で、ふと気が付くと我が妻にしっかりと扉を閉められているわけだ。しばし、オイラは状況を理解するのに時間がかかったが、「あぁ、そういうことか」と一人納得して、その場に正座して反省を始めた。うむ、人生何事にも起きたことに謙虚に取り組まなければならない。しかし、布団くらいは欲しかったものだ。その後、オイラのボケ突っ込みのボケ部分が長すぎることに業を煮やした妻が、扉を開けて引っ張り出した。うむ、短気なヤツだ。かわいいヤツめ…。
ふと、上を見上げると脱走王として有名だった(名前は忘れたが)囚人がふんどし一丁で屋根に上ろうとして、脱走している人形がある。…何もそこまで演出しなくても。多分、ほとんど誰も気が付いていないと思う。細かすぎるんだよ。
冬場のストーブは薪ストーブが3台くらい20mおきに等間隔で並んでいて、それらが煙突で繋がれて廊下に沿って屋外へ伸びている。つまり、1台のストーブで5〜10部屋くらいを暖めたわけだ。ってゆうか、暖まらないぞコレ。うむ、これではさすがに凍えてしまう。これで極寒の網走の冬を過ごさなければならないのかと思うと、オイラのハートはマリンブルーだ。夕日を集めるツィードのジャケットもない。
そうして、この有名な牢獄を出ると脇に浴場がある。おぁ、おるねぇ! 体に模様が描かれた囚人さんの人形が風呂を浴びているよ。元々西南戦争などの政治犯を収容するために作られた集中刑務所だったので、設立当初はインテリジェンスな香りが漂っていたらしいが(本当か?)、途中から普通の管轄の刑務所になったので入れ墨関連の方が増えていったらしい。ナンというか、入れ墨の気持ちだけは分からないな…。
その隣に、懲罰房があった。煉瓦で作られた小さな建物で、扉を閉めると完全に真っ暗になる。うむ、瞑想したい時には良いかも知れないが、普通は入りたくないな。閉所恐怖症の立花くんだったら死んでしまうところだろう。まぁ、そんな感じで展示物に楽しみ、史料にいそしみ90分くらいかけて施設を回った。しかし! 最大の恐怖は出口にあった!
ツアー客を待っているバスガイドさん! あなた、一体いくつデスかぁ〜!
この年齢不詳でありながら、おそらく結構イッテいるであろうガイドさんはオイラの心を凍らせた。う〜、雪女なのかも知れない。で、この監獄から脱出する時にはすっかりゲンナリしていたが、1000円の入場料を払っただけ楽しませてもらった。言ってない人はいってみるといい。…一人では行くなよ。…仲間に取り込まれるぞ…。
妻の実家へ戻る。
基本的に旅が嫌いなオイラはそろそろ限界に来ていた。元々、藻岩山の切り株を掘り起こして引きずってくるチョビのように帰巣本能が強いオイラなのだが、それは手になじんだ道具類が手を伸ばせばすぐにあるからだ。しかし、今回はそのほとんどを放棄してきて、持ってきたのは愛用のウォーターマンの万年筆だけだ。だから時間の空いた時は妻にかってもらった大学ノートにひたすら文字をつづる毎日だった。反省して、写経をする囚人の心構えである。さながら、ホテルに缶詰になる文豪状態だな。ま、つたない文章しか書けないのだけれど。けれども、文字を書くことにもいい加減飽きてくるし、書いている内容も煮詰まってくる。情報が入ってこないというのは怖いものだな。ネタが全然無い。しかも、健全な夜の睡眠のために昼寝をすることが許されない。不意に眠くなった時などには、一人心の中で「冬山登山遭難ごっこ」をしたものだ。ベスト配役だったのは、草刈正雄山崎努の渋めの配役だったけれど、筧利夫西村和彦の組み合わせはホモっぽくて駄目だったな。
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そんなことをしているうちに、ダークサイドの力によりホモサイドに引きずり込まれそうになったが、あいにく女でも面倒くさいのに、男なんて構ってられるかと言うことで無事に耐えることが出来た。俺の貞操、よく頑張った。感動した!
そして、網走監獄でしつけられたように自分の番号を言ってから消灯されるのであった。まぁ、マイスリーの力で睡魔にあらがう力など残ってはいないのだけれど。

8月24日 頑張れって、もう十分頑張っているさ
今日は、朝ご飯をいただいてからお母様と妻が買い物へと外出したため、取り調べと尋問が始まった。…お父様との会話である。ゆっくり話するべ、と引き戸を閉められてサシ向かいでの監禁状態となった。オイラ、この個室で上の立場の人と話をするのが全く駄目なのである。会社を追い出される時の上司との面談を思い出して動悸が速くなり、めちゃくちゃに気分がメルトダウンしていく。やばいぞ、チャイナシンドロームである。ナイフの一つでもあれば、頸動脈を真一文字に切っていたが、幸いなことにそんなものは持ち合わせていなかったので、死ぬこともなかった。まぁ、話の内容は詳しくしないが、要するにがんばれと言うことである。あいあ〜い、もっと頑張ればよいのさ。もちろん、オイラのことを思ってくれているのは解っているが、こういう時はいつもオイラの心が置いてけぼりとなる。まぁ、オイラがまだ未熟なのだから仕方がない。
その後、釈放されて再び時間が空いたので、ノートにペンを走らせながら徒然なるままに書き付ける。
窓の外を見ると、外は良く晴れている。全然気が付かなかったな。しかし、いつの間にか風の雰囲気や空の高さは、秋のそれである。いい加減、時間は進んで欲しくないのだけれど、こういう時の自然は残酷だな。老体に鞭を打つがごとく、遠慮なく過ぎていってしまう。そんな折り、ひとうた、読みき。
風鈴や、渇いた心に鳴り響く
やんだ時にぞ、落ち葉に埋もれむ
ぱけを
うむ、掛詞も極まったし、なかなか良いではないか。手前味噌だが…
昼過ぎに、妻の運転で山までドライブにつきあう。けれども、ナガシマスパーランドやルスツ高原で幾多の絶叫マシンをクリアし、暢気に楽しむことが出来るオイラにはたいした恐怖ではない。もとより、死ぬ覚悟も出来ているしな ( ̄∀ ̄*)イヒッ
さらに追い打ちをかけるように霧に包まれ始め、視界50m以下になって妻はたいそうびびっていたが、赤外線アイを持つオイラにはすべてまるっと、すりっと、お見通しだった。5歳の時、ロシアで無理無理移植されたんだよな〜。あぁ、あの頃はソビエト連邦だったか…。冷戦の終わった今、こんなところで役に立つとはお釈迦様でも細木数子でも気が付くめぇ。で、展望台まで上ってきたが、何も見えずに帰る羽目となった。まったく、何しに来たのやら。
家に着いたら、先日網走のゲオで借りてきたDVDの「宣戦布告」という映画を見る。これ、全然期待していなかったのだけれど、かなり面白かった。まぁ、あらすじと感想については、別な場所で書いてみることにしよう。それにしても、自衛隊員が実戦をしているというのはなんとなく違和感があるな。あと、国内の軍事行動は「事変」と言うのだな。知らなかった。しかし、得た教訓は「本気でこちらをやろうとしている相手には、やられるまえにやれ」と言うことだ。反省も、贖罪も生きていなければ始まらない。
あと、夜に女子バレーの対中国戦を見る。ビジュアル面では日本チームの圧勝だったが、試合では頑張っていたもののストレートで負けた。まぁ、個人的には妻とお母様が中国チームに向かって、アイツは不細工だ、いやこの人もっと不細工だ、と会話していることの方が面白かった。往年のジャンボ鶴田を彷彿させるようなヤツもいたしねぇ。そして、11時になり同じように番号を述べてから消灯された。当然、30分まえにマイスリーを飲んで、さらにアルコールも追加している。正直、アルコールで薬の効力を強化しないと寝れたもんじゃねぇ。

8月25日
いつものように、早起きをして、残っているマイスリーの効力と闘いながら目覚める。テレビは、いつもの、エヌ・エイチ・ケイ。受信料は払ってねぇぜ。
朝ご飯を頂戴した後、妻を含めた家族はパークゴルフに行くと言ふじゃな〜い。一緒に行くかと尋ねられたので、正直な気持ちとして渋ったら、妻の一声で一緒に連れて行かれることになった。まぁ、俺に選択の余地などないのだ。
初めてのパークゴルフは、初球がホームランとなった。力加減がわからんのじゃぁ! 多分、きちんと練習すれば上手になるのだろうと感じたが、どうやらゴルフ系のスポーツは俺にあわないようだ。どうも、しっくり来ない。それなら、岩山を素手で上るフリークライミングの方が興味あるな。のるかそるか、そのビリビリした感じが良いではないか? 落ちたらそれはそれで、帰りの心配をしなくていいしな。
そんな感じなので、妻とお母様が楽しんでいる間、オイラは1ラウンドだけ回って東屋で風を感じながらウィンストンを吸い続けていた。
ウィンストンと言えば、大変だったのだ。小清水中の店を回ったけれど売っていない。で、2日目に代替えタバコでストレス超過になったオイラは車で雨が降る中、網走まで行った。ここでも、なかなか見つからずやっと見つかったのは、商店街のちょっとした喫茶店&夜にはバー風の店の横にある自動販売機だった。さすがに、ライトシガーや普段見かけないような「ツウ」な銘柄が並んでいた。そこで俺は札幌でもなかなか入手できる店が限定されているソフトパッケージのウィンストンを2つ買い、初めて目撃したゴロワーズのブロンドを1つ買った。これで、かまやつひろしに耳元で「ゴロワーズを吸ったことがあるかい〜 ♪」と歌われても、かんしゃくを起こしてカツラを引っぺがさなくても済む。もめ事が回避できるというのはとても良いことなんだ!
そんな裏話があったのだ。まぁ、一人で気ままに外出したことにお父様からは「囚人の身分のくせに単独行動とはけしからん」と、言われていたらしいが… _| ̄|○
話は戻るが、年寄りばかりだな。なんだか逆に気を遣うじゃないか。オイラは若者の街に繰り出してしまった年寄りの気持ちを良く理解した。
昼の2時くらいに、お母様より買い物を頼まれたので妻の運転で網走へ行く。全く、毎日オイラの心はジェットコースターロマンスだ。キンキキッズもビックリだぜ。網走でも心のオアシス、ハードオフがあるのだが中古のwindowsソフトを見ていたら、Grandpirx3というfomula1のゲームが525円で出されている。かなり古いソフトなので、オイラのパソコンでも動くスペックだ。ただし、NT系への対応が明記されていないので動作するか心配だが、500円なら良いだろうと言うことで妻にお金を借りて購入する。(→これは後日、きちんと動作した)
買い物を済ませ実家に帰った頃には4時を回っていた。お隣の犬 チャロ(雑種 雄)を妻と二人でちょっかいを出しに行く。俺のカーゴパンツには色々な動物の臭いが染み付いていたのかも知れない。彼は一生懸命に臭いをかぎ回る。そして、お手やチンチンをして俺たちにアピール。しっぽも振ってアピール。で、何故かチャロのチンチンも勃起状態だ。…まぁ、犬なりの生理反応というものがあるのだろう。
夕食は、小清水町に1件しかないと言われる焼き肉屋に皆で繰り出すこととなった。全然期待していなかったのだけれど、結構うまかった。海の家のラーメンみたいであなどれないぞ。
帰ってテレビを見る。山田優が出ていた。何度見ても彼女のアゴは良い。目元も良い感じだ。しかし、あの千枚通しのような鋭いアゴで方をぶち抜かれてみたいものだ。実際は解らないけれど、つんつん系の顔立ちにもかかわらず性格が良さそうな印象を受ける。何でだろうな?
ベッキーが別の番組に出ていた。彼女もなんだか良い。友人に一人くらい居ると面白そうだ。グリーンの目がハーフを感じさせるが、後はまるっと日本人な慣性で、性格も良さそうに感じてしまう。何でだろうな?
それにしても、オイラの女性に対する記述が多いことに気が付かれているだろうか? そう、実際に多い。しかし、それはオイラは女性のことばかりを考えているのではなく、この日記を書く時にしか考えないのだ。だから、まぁ、普通の健全なこの年代の男から比べれば、大分、種が足りないのだと思う。
まぁ、いいさ。オイラは久しぶりに映画「ゾンビ」のラストシーンでピーターが呟く台詞を言ってみた。ゾンビばかりの世の中じゃぁ、種があってもしょうがねぇよなぁ〜、ISSA君よぉ。
そして、今日は番号を点呼されるまえに、おとなしく布団を敷いて寝た。ただし、マイスリーは倍の量を服用しておいた。

8月26日
夢を見た。懐かしい人が出てきた。高校に入って一番最初に目にとまったあこがれの人だ。内容は、無い。
外は、晴れていた。今日は帰る日だ。内心、自分の巣に戻れるので帰巣本能が騒いで小躍りしたかったが、それでは印象が悪いのでおとなしくしていた。荷物を積み、家を出るまえに最後、お母様より規則正しく生活し、殻の中から出るようにと念を押される。はい、私はあなたの仰せのままです。という気分だったか、普通に返事をしておいた。こんなのでも、精神的には結構くるんだ。困ったな…。
帰りは暑かった。暑かったがガンガンアクセルを踏んだ。平日のせいもあって、道路全体が営業マンによってスピードがコントロールされているのである。正直、オイラにとっては走りやすかった。帰りの高速道路でも平均120km/hでぶっ飛ばした。多分、マーチの安定速度としては限界だろう。それ以上では、エンジンも足もついてこない。
家に着いたら、近所の犬ダイちゃん(雑種 雄 4歳)の熱烈歓迎を受けた。どうやら、この日の彼は首もとより尻を撫でて欲しかったらしく、やたらとケツをこちらへ向けた。全く、失礼なヤツだ。試しに、犬の挨拶の儀式に乗っ取ってこちらもケツの臭いをかがせてみようと思う。しかし、いつも忘れるのだ。ぱけちゃんメモに書いておかないと。_〆(。。)メモメモ…
部屋に入った時は、完全なノックアウト状態だ。しかし、オイラは7勝7敗で迎えた千秋楽の朝潮のように踏ん張った。邪魔な大きめの荷物を片づけ、眠そうな妻のために布団をひき、ご飯はちゃんと買い出しに行ったし、就寝前にはマイスリーをODして飲んで眠気を待った。それにしても、1週間ぶりに手にしたギターはものすごく嬉しかった。買ってもらったばかりの高校生のように猿のごとく弾きまくった。まぁ、ギターと一緒にベッドインだけは避けておいたが、なんだか本当に楽器に触れるというのは嬉しいものだな。これからもこの気持ちは大事にしよう。そんな感じで我が網走番外記を終わりとする。

この記録は5秒後に爆発する…。