ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

来週の水曜に必ず返すから、ハンバーガーをおごってくれないか?

ラストシーン。懸命に走ってくるサク。堤防であたりを探すサク。ふと誰かが肩を叩く。ふと振り向くと、アキの伸ばした瑞々しい指がサクの頬をつつく。まるで二人の合い言葉、挨拶のような儀式である。あたりはいつか見慣れた堤防。アキは微笑んで手を伸ばし、サクはそれに答える。夕暮れの堤防を手を繋ぎそっと歩き出す二人。まるで、いつか見慣れた風景のようであった…って、セカチューだ!(長井秀和風)
約束した通り、セカチューの話題からだ。昨晩は放送していた時間帯にエレガントな友人宅で、悪知恵を絞っていたので、妻に頼んでおいた録画での鑑賞だ。
いやぁ〜、泣いたな〜。きっと全米も泣いていたことだろう。
やはり、先週倒れた時点でアキは死んでいるわけではなかった。そして、予告シーンでサクがアキを担いでいたので、ここでは死んでしまって連れて帰ろうとしているのかと思ったら、絶対ウルルに行こうと担いでいたのであった。おぉ、これは不意打ちだったぞ!おぬし、やるな!
で、結局先週の放送で視聴者から「空港職員は一体何をぼんやりと眺めているだけなんだ!」と苦情が入ったのに反省して、サク達を制止する。そして、結局病院へ逆戻りだ。多分、サクにとってはゴール前でさいころの6を出してしまったがために振り出しに戻されるようなつらさだったろう。で、過労のサク、倒れる。うむ、そんなところで倒れるなよ! そして、アキは両親に見守られながら静かに永久の旅へと旅立つ…。映画版では、一人静かに夜明けと共に旅立ってしまったから、テレビ版では両親がいただけ救われたかな。逝く人にとっても、残る人にとっても。
そして、サクが目覚めた時にはアキはもうここにいない。受け入れられない現実。大島さと子の演技が良かった!涙は流さなかったけれど、ポイントは取ったな。10点差が付いてしまうとテクニカルフォールだ。危ない、危ない。
それで、端折るけれど、ポイントになったのはアキとサク以外の人々との接点であった。アキからのテープのメッセージは、とても切ないものだった。もっと時間があれば…、そう感じさせるものであった。奪われる時間というのはいつも残酷なものである。そして、サクと友人達との葛藤。これも良かったよ。スゲェよ、みんな。特にスケちゃんなんて、ごつくなりすぎた香取慎吾の代わりにSMAPに入れてあげたいくらいだよ。でも、おはロックと服部君は勘弁してやれな。で、トリビアで有名な高橋克巳氏。普段は、さえない感じで茶の間に転がっているオヤジだけれど、写真館で仕事をしている時と、この時のサクをしかりつけるシーンは男だねぇ〜。さすが、ロバート・デニーロ張りに髪の毛を大幅に引っこ抜いて、頭の薄いオヤジを演じきった。だれだ、こんな役者を何十年も放っておいたプロデューサーは! …ったく、バカチンがぁ!
あと、一つ大発見だったのは、救えなかった命をこの次は何とかしたいとか言って医者になる物語は数多くあるけれど、先生と父親の視点では、「生死を扱う仕事、大切な人を亡くした人にはとても辛い仕事」と言うことだったのだ。これには、目から鱗がでた。当たり前のことなんだよな。医者と言っても救える命ばかりじゃない。そして、消えていく命を目の前にした時、辛い過去から目をそらす事なんて出来ないものな。相当な覚悟と精神力が必要だ。そう思わせてくれたのは、このドラマが初めてであった。そうなんだよ、オイラなんて敵討ちのように立派に勤め上げるお医者さん、立派だね〜、くらいの軽薄な考えしか持っていなかったもの。そう思うと、東京で頑張っている医者の友人がとても誇らしく思えるのである。ま、別にオイラの手柄じゃないけれど、なんだかイイなって、ね。
大人になったしおれたサクとアキの父親とのシーンも良かったなぁ。んー、三浦友和は単なる山口百恵の旦那じゃないねえ。立派な役者だ。多分、この役を見なかったら俺の三浦友和に対する印象は、高井麻巳子をトンビのように…、いや重たいフクロウのようにかっさらった秋元康のそれと変わらなかったであろう。
長いねぇ、17年って。アキの死を消化するには、アキが生きたのと同じ17年を要しなければならなかったのね。で、認めていたけれどなかなか言葉にしなかった父親からの感謝の言葉。ここで、大泣きだ。肩を1秒間床に着けられてフォール負けである。で、17年目にしてやっと渡されるアキの編集した絵本、の様なもの。死とは何であるか?いつもオイラの感覚を鈍らせるのだけれど、結局、故人を認めることなんだよね。目の前にして、話すことは出来ない。抱きしめることも出来ない。けれども記憶の中にあって、段々とその輪郭がぼけていくけれど、それは多分、自分の人生の記憶と同化していくことなんだろう。故人を認めなければ、自分に内在する事もないだろう。まぁ、記憶がぼやけていくのは決して悲しむことばかりではないよ。
で、最初に書いたラストシーンなのさ。あれが、絵本でアキにがんばれ!と励まされてから再び走り出したサクの中での懐古の一コマであるのか、それとも人生をがんばって走り抜けた果てに、アキが待っていて、現実では叶わなかった二人共に寄り添って歩き続けるというシーンを表しているのか、人によって判断が違うだろう。オイラは、単にイメージシーンと認識していたのだけれど、サクの人生の終わりのシーンであると解釈した人は、想像力が豊かだな。感受性が凄い。オイラなんて感受性があまりに乏しいから、このカットが終わって映し出された武田鉄矢の顔を見て、あれあれ、サクも随分萎れたな。30年後のシーンか? と、一人ボケ突っ込みをしたくらいだもん。ま、とにかく回りがなんと言おうとオイラはこのドラマが好きだったのである。そして、これの終わりと共に夏も終わったんだな〜、と感じる。まさに、愛なんていらねぇよ、夏って感じである。以上、「老人よ、熱く語れ!」のコーナーでした。
今日は、5時に目が覚めた。早めである。で、早速パソコンに電源をいれ2ちゃんねるのテレビドラマ版でセカチューの話題を読みまくる。あぁ、この瞬間が楽しいのよね〜。ケンケンガクガク、議論しているのを端で聞いている感じ。楽しいよ。
さて、今日は昨日の通達ではお昼近くになって白石神社の露天まで散歩に行くはずだったのだけれど、何がどう行き違ったのか、取りやめとなる。むぅ、なんだか難しいな。で、以来によりスーパー回りをする。まぁ、オイラは特にスーパーに興味がなかったし、なんだか疲れがピークに来ていた様子なので車の中で寝させてもらうことにした。
お昼は、一日寝かされて熟成されたシチューだ。うむ、御飯を皿に盛ってぶっかけて食ってやった。御飯にかけるとおいしいけれど、女の子の顔にはかけないようにな。今時の若い連中は、勘違いしているヤツが多いらしいから。
で、お昼を過ぎてピークだった疲れに輪をかけて疲れが重なり、眠りに落ちた。
…板の間の上ですが、寝かせてあげてください。
それが、起きている時の最後の言葉だった。もっとも、誰も聞いちゃいないのだけれど。
目が覚めたら3時半。なんだか眠りで頭はかなりすっきりしたけれど、板の上に直に寝たせいで、体のあちこちが凝り固まっているな。こういう時は、ラッキー池田のモンキー体操が効果的なんだ。
右手と左手、交互にあげて、(ハイ!)あ、モンキー、モンキー、猿!猿!猿!
そんな感じで、こりをほぐした。先人の知恵は素直に拝借しなければいけない。
あっという間に夕方だ。それまで、皿洗いや御飯を研ぐなど、ちょっとばかりの家事をしていたのだけれど、ギターをちょっと弾いた。で、あっという間に御飯が炊けたので、晩ご飯だ。そして、晩ご飯は、一日半寝かされてたっぷりと熟成されたシチューだ。なんだか、同じ事を書いて言うような気がするが、気のせいだろう。所謂、シンクロニシティーと言うヤツだ。多分…、きっと。
御飯が終わると、タケシの9.11の疑惑スペシャルを見ながら、フライビーンズをつまみにアーリータイムズをロックで飲んだ。男はなよっとしてはいけない。ロックな魂にはロックがお似合いだ。それにしても、話半分でこの番組を見たとしても、なかなか面白いなぁ。どこからあのようなソースを持ってくるのだろう。とりあえず、事実だとしても、ネタだとしても、あのような噂をたくさん流されるのは、ブッシュの頭が悪いからだ。世の中というのはそういうものだ。
その後、妙にハムスターのウタが忙しないので、散歩に出す。散歩に出すと言っても鎖をつけて外に連れて行く訳じゃなく、部屋に放すだけだ。そうしたら、どこに隠れたのが全然姿が見えなくなって、大あわてで探す。お〜い、どこに行ったのぉ〜。たいてい隠れるところなんて決まっているので、そこにいないと解った時は総統あわてる。しかし、どうしても見つからないので、部屋の方々にひまわりの種をまいて部屋の電気を消す。そして、しばし待つ。
…パキッ。カリカリ…
む、オイラの右後方から聞こえるぞ。そして、その方向へ種をもう一粒つまんで放る。
カリカリカリ…。
うむ、これで方向がわかったぞ。オイラはその方向へ静かに体を向ける。そして、じっと眺める。む、通り過ぎる影と物音。…そこだ! 俺は種を持ち、ヤツの鼻先にちらつかせる。で、十分に確保しやすい場所に誘導して掴まえる。ふぅ、やっと掴まえた。手間取らせやがって。
で、彼はその後、お見合いおばさんとなった妻の陰謀で、雌のチョビ子さんと一緒の場所に放り込まれ、何でか知らないが発情したウタさんは、その晩初めて大人の男になった、と、思う。多分…。そして、もしうまくいっていたならオイラから記念の言葉を贈ろう…。
…ウタ、この、下手くそ!