ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

手抜き何ですぅ〜

昨日は一日の殆どの時間をパソコンの前で過ごした。ちょっとしたプチ引きこもりである。まぁ、必要に迫られてやらねばならぬ事があったのだけれど、殆どを同じ場所で過ごすというのはあまり健全な生活ではないな。そんな感じでいくらかの時間を掲示板での書き込みで会話をして、ネットで今日の出来事を確認して、たまに妻と会話をし、頼まれた買い物に出かけ、やはり同じようにパソコンの前に座り、作業をまっている。そして、本棚の奥から引っ張り出した村上春樹の短い小説を読んで過ごした。で、体が疲れていないと眠れないと思われたので、マイスリーを2錠、いつもの倍の量なのだけれど、スコッチのシングルで流し込んで12時くらいに寝た。
そのせいかと思われるが、8時までぐっすりと眠り、トイレにも起きないくらいだった。妻の寝返りによる「腹パンチ」によって目が覚めた。うむ、外はもう明るい。
本来なら、7時に起きて、ご近所の犬を冷やかして「日光リセット」をするはずなのだが、8時ともなれば朝の散歩に出かけてしまって、モノケの空である。仕方なく、オイラは燃やせないゴミを大量に抱えて、ゴミステーションへいく。いつも思うのだけれど、札幌市の燃やせないゴミと資源ゴミの境界線は非常に曖昧だ。さらに、これに電化製品などの大型ゴミが入ると、訳がわからない。で、結局みんな自分の良いように解釈をして、水曜日の燃やせないゴミの日は、ゴミステーションが溢れるのだ。全く、困ったものである。そういうオイラも要らなくなった「goldstar」時代の韓国金星製のビデオレコーダーを廃棄してくる。なぁ、大型とも言えないような微妙なゴミなのである。全くねぇ〜。
それから、オイラは演奏会でのピアニストのように恭しくパソコンの前に着席して、作業を続行する。いつまでたっても終わらない作業というのは、疲れるものだな。オイラは世のたくさんいらっしゃるプログラマーの気持ちが身にしみた…。
今日の作業待ちのお供は、やはり村上春樹の昔の小説である。「1973年のピンボール」だ。浪人時代から、大学時代まで、僕はこの小説を読んで以来、ゲームセンターにってやたらとピンボールをやって遊んでいた。まぁ、今となってはどこのゲーセンをのぞいてもピンボールの姿を見なくなってしまい、寂しいものなのだが、今から10年ちょっと前の時代は穏やかだったのだろうか? ある意味バブリーな時代だったのだろうか? 巨大なスペースをメンテナンスを必要とするピンボール台がどこでも見られたものだ。
もちろん、小学生、中学生の時にもボーリング場などにいくとピンボールがおいてあった。しかし、テクニックというものを全く知らなかったから、どちらかというと運を天に任せている様な感じで、フリッパーの中央からボールがこぼれてばかりであった。こういうどうしようもない状態の時は、台を揺らして玉の軌道を変えるなんて純粋な少年にどうして思いつくことが出来ようか? で、懐かしく読みふけっていたのである。札幌ならどこに行けばプレイすることが出来るのかな?
昼の2時くらいに、体調の悪い妻に変わり買い物に出る。薬のツルハによって、ティッシュ5箱をゲットし、生鮮産直市場に行ってシチュー用のいくつかの材料を購入してくる。何というか、一人暮らしをしていた時には買い物なんて言うのも当たり前で慣れていた筈だけれど、指示されたものを忠実に購入して来るというのは、何というか慣れないものだな…。
特に寄り道もせずに帰宅する。時間は4時を少し回っていたくらいであった。
で、小説の続きを読んで、パソコンの作業を待つ時間を過ごす。何というか、一件生産的な作業であるが、実は生産と言うよりはマイナスである。
で、7時過ぎに飯を適当に食べて、またパソコンの前。小説も一気に読んでしまうのである。けれども、さすがにずっとモニタの電磁波を浴びていたせいだろうか? はたまたハムスターアレルギーにやられたせいだろうか? オイラも体調が悪くなり、トリビアの泉が始まる前に、布団に潜って寝てしまった。
えぇ、たいした面白いこともかけずにすみません。もう2〜3日続きます…。