ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

思いのままに…

幸せは心の中に

時代の流れにブレーキをかけてとどまっていたい衝動に駆られることがある。
まぁそんなことは、夢見物語であり、実際に出来ることではない。多かれすくなかれ、たいていの人は自分の一番よい時代を保存して、その中で満足しながら暮らしていきたいと思うのが常であろう。もちろん、中には前向きにそれよいもっと上を目指して、その枠を飛び出そうとする人も多いのも事実である。
僕は、本来そういう風に出来ていないけれども、そういう気持ちも理解できる。自分がノリにノっているときはなんでも出来るような気がするものだ。
さて、お馬鹿な探検隊の珍道中を休止してまでなんでこんなくそまじめなことを書いているかというと、色々と考えることの多い何日かを過ごしたからに他ならない。
世の中の出来事で言うと、本田美奈子さんが急性骨随性白血病で38歳という若さで他界された。僕より3歳年上で、妻より1歳年下だ。
急性骨髄性白血病は「血液のガン」と言われるように、血液を生産する部位である骨髄の造血細胞が癌化してしまう病気である。一応ボランティア的にUD(United Devices url:http://ud-team2ch.net/)のソフトを常時起動させておいて、遺伝子パターンに有効な新薬の構成パターンを解析させている。つまり、パソコンの余剰CPU能力を利用して、それで解析を裏で実行させるのである。特にたくさん解析したからと行って何かをもらえるわけでもないので、本当にボランティアであるかも知れない。
一応リスクもある。これを起動させている間はパソコンのCPU利用率が常に100%になるので、場合によってはパソコンの寿命を大きく縮めてしまうことにもなる。
でも、それだけの価値がある分析だと思っているので、アンインストールもせず起動させいる。…それでも、解析は間に合わず、ドンドンと癌で亡くなる人の方が多いのである。
こういう時って、本当に無力感を感じるねぇ。
2番目に、ここから極めて個人的になるが、日記の更新が著しく停滞していることに気が付いておられる方も多いだろう。これは意図的に書いていないのではなくて、本当にかけないからだった。
…あのバカな日記というのは、割と気に入って読んでくれている方もいて感謝の限りなのだけれども、精神的な余裕がないと思うようなものがかけない。無理をして書くと、作為的なものとなって、自分で読み返していたも具合が悪くなるような文章が出来てしまうのである。それでも、目をつぶってアップしたこともあるけれど、後から見るとやっぱり公開するような文章ではないな、と言う気がして後悔するのである。…一応文章に責任を持たないとな。読んだ人がどれくらいの影響を受けるか、まだ明確に判断できないような僕であるなら、なおさらである。
そういうわけで、停滞している。
履歴書を手書きで書いているというのも大きな要因だ。僕は自他共に認めるキーボード愛好家であるが、それはすべてのものに対してコンピュータ処理をすればいいと思っているわけではない。友人との手紙や懐かしい人との手書きの文字のやり取りというものは味があって、ずっと保存しておきたくなるような尊いものに感じる。
けれども、そうでない文章というものが生じる。仕事など、極めて事務的な文章である。こういうものは、読みやすさと内容の理解が出来れば十分であり、如何に少ない時間で効率を求めるかが一番のねらい所だと思うのである。
けれども、履歴書で他の人と差別するためには「手書きの履歴書が一番!」という風潮が抜けきっていない。仮に、電子化された企業に電子メールや登録フォームで求人に応募しても、別便で手書きの葉書や手紙を出すとか…。
礼儀としては、日本が余裕に持っている大切な行為なのかも知れないが、今のような人を人とも思わないような部品として扱い、終身雇用も昔の話であり、給料すら保障されず、役員がのうのうと高額な役員報酬をもらって、豊かな生活をしているような会社の姿を見ると、とてもそういう心を込めた行為をする気力が失せてしまう。
なので、その履歴書、実に手書きで書くと1時間くらいかかるのだ。…僕は文字が下手くそだからな。すっかり消耗して日記などに気力が回らないのである。
困ったものだ。
そんな生活をしているので、ちょっと停滞している。けれども、書かないことによって、自分の中の整理できない思いがぐちゃぐちゃに絡まりはじめているので、ちょっとしたことでも書いていかないといけないなと思い、こんな意味不明な文章を作ってアップするのである。…ま、次回からはバカ探検珍道中をアップするし、下書きは着々としているので、待っていて欲しい(…待っている一がいればの話だけれど)
で、中途半端な状態で35歳を迎えてしまったよ トホホ…