ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

里芋は毛の生えた芋だ。正直、キモイ

ネコバトル

さて、夜勤がそのつらさの本領を発揮するのは正確には「夜勤明け」、つまり夜明けから日勤者が来るまでを一人で乗り切らなくてはならない点にある。
この時間、オイラはうらぶれた田舎のホテルのオーナー兼支配人兼、専属ボーイ兼まかない夫としてこき使われる。
で、今日の朝は思い出しただけでも背中に「ぞぞけ」が走るぞ。
先日話に出した糞たればぁさん、…いやお茶のみバァさん、…いや違うな。
……。
…良い表現が見つからないな。
ま、その糞ババァにコーヒーを飲んでもらって黙らせ、モクモクと朝食を作り始めると、
「兄ぃさぁーん。」
「…なんすか?」
「出てきてるよ。」
「……何が?」
そう思って振り返ると、開いた扉のところに松ちゃん演じるばあさんのような表情でなかなか不穏で寝て頂けないご老婦がこちらを睨んで立っている。

「Σ(゚∀゚*)!! これはあかんでぇ!!」



オバケホテルのバツゲームでトイレに出た幽霊をみた時のような松ちゃんの様にオイラはびびる。
そのご老婦は振戦と言われるパーキンソン病などにみられる独特の震えを持っており、立って震える姿は指ぱっちんでリズムを刻むロッカーのようでありシェキナベィベーだ。
昔、志村けんなどは大げさに震える老人を演じていたものだけど、人権的な配慮からみられなくなったねぇ。…そう言う真実の姿を知るのも大事なことなんだけどな。ま、PTAのおばちゃんが自分の息子にかける手間を惜しむ時代なので仕方がないのかも知れない。
しばらくすると、その方は席に座り眠そうにされていて、お茶を出したら部屋に戻って寝てしまった。…介護拒否の症状もここまであからさまだと清々しいぞ。
で、お茶のみバァさんも部屋に戻ったことだし朝食の続きを作る。正直しんどい。
5時になる。定時のウンコ回収ツアーだ。…今回はハズレでホッとした。その代わりに、覚醒度の高い方にはここらでオムツからリハビリパンツなどへ更衣して頂く。と言っても、殆ど全介助だからオイラがするような感じだけどな。
「さ、飯も殆ど出来たし一服でもするか。」
事件が片づいた後の刑事ドラマのエンディングの捜査一係刑事課長の様に、マッタリとユニットの外へ出て、しかし扉を開けて物音に注意しながらタバコを吹かす。本当は喫煙は介護者としてはよろしくないのだけど、こんなのタバコを吸う習慣がある人なら吸わないとやってられねぇ。
すごすごとユニットに戻る。
6時だ。
この頃になると9人の定員数の半数、5人くらいの入居者の方が起きて席に着いている。ま、その課程が大変なのだけど…。
簡単に述べると、
まず茶飲みバァさん登場。その後続けざまに自力歩行が出来ないため、這いながら部屋を出てくる方を介助して席についてもらう。さながらその姿は映画「リング」の貞子のようである。…怖いよ。
その後、認知症を偽って(と思われる)認知症度の低い方が起きてきて、勝手に過ごしている。ま、オイラも特に構うことはしない。
ご老婦から「わらじむし」とあだ名を付けられた男性が登場する。眉毛が1本だけ異様に伸びているので、介助中ツボにはまると笑って仕事が出来なくなるので注意が必要だ。
…4人だな。
…あと一人誰よ?
……。
ま、この世の方でもないかも知れない方がいることにしよう。
御飯を提供する。
…あ、思い出した。午前1時から起きてしまって、ユニット内を闊歩したあげく、洗濯物などを回収して自室に持って帰ってしまうクセのあるご老婦だ。この方には今朝、スタッフルームに「この方対策」として隠している洗濯物まで持って行かれたので、部屋にノックをして入ったあげく、
「…○○さん。僕は怒っているんだよ。」
と真剣に説明して回収したんだっけな。…その後も同じ事を繰り返していたので、あとでまとめて回収することにした。疲れるからな。
5人が朝食をモクモクと食べる。会話もない、殺風景な感じだ。認知症を抱え、しかも365日顔を突き合わせているわけだから、話をしなくなるのもわかるけどな。
その間にオイラは途中まで着替えをしてもらっている全介助の方を起こして、着替えを完了して頂き、食事をとって頂く。ま、先日触れた通り、開けた口に食物を突っ込むような切ない作業だ。
…身体的に自立を確保されており、スタッフと他の入居者とのコミュニケーションにより認知度の低下を予防するというグループホームのコンセプトは、少なくともここにはみられない。というか、他の施設でも存在するのだろうか?
コンセプトだけ先行して、実際は形骸化しているのが実情ではないだろうか?
オイラはそう感じる。
これだけの家事援助と身体介助をしながら、同時にコミュニケーションを取るなんて事は、少なくとも一人のスタッフでは不可能だ。且つ、例え複数のスタッフが張っていても不可能だ。介助というのは1対1であり、同時に3人からの要求が発生した場合、何も出来なくなる。段取りをする時間を含めると、そんなコミュニケーションの時間など確保できない。
すべて費用が問題として立ちふさがる。
一人の介護員で2人を担当するのが限界じゃないかな、と思う。
想像して欲しい。
健常である自分でさえも、自分のことと相手のことを考えるのが精一杯じゃないだろうか?
そこで自分のことと相手のことと、さらに要介護者のことを考慮に入れる余裕など、そもそも存在しないのだ。だから、身体的自立が必要なのであるとオイラは思う。
でも、要介護1や2の入居の方だけの介護報酬では施設は維持できない。
介助事業というのはボランティアじゃないのだ。
それでも成り立っているのは、介護員の超過勤務というボランティア精神に支えられている。だから、若い人や真面目な方は道途中で疑問を持ったり燃え尽きたりしてこの世界からドロップアウトし、経済的に余裕のある方だけが残る。
…そんな未来に、どう希望を持つのだろうか?
と言う真面目な話題を考えていると、先ほどのご老婦のコールが鳴る。
「…ウンチでた。」
……むぅ。
この一言だけで、日本の将来などどうでも良いと思い始めるオイラである。