ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

【小論】 神の目は大切だが、神の手はありゃないよな by ウィーゴ・マラドーナ



すでに語り尽くされた感があるのだけれど、欧米社会、あるいはイスラムの国々が「神の目」を意識して生活をしているのに対して、日本人は「人の目」を強く意識して生活しているという。
たしかに、小学校から高校まで一緒の学校に通った某キリスト教会牧師の息子は先日のクラス会で、あまりに爽やかに
「神様と約束したから教師になった」
とのたまい、実にしっかりと自分の使命を果たしているようであった。
ま、比較するわけではないが、日本の場合、世間で評判のよい人(政治家、芸能人、聖人君主の類…)が人目を離れたプライベートな場所では実に普段見せる姿と違ってだらしない、という話しを多く聞くのも事実である。
実際、日本人ってワイドショーで具体化されるように人の噂って好きだからな…。
アレって、人のだらしない部分の暴露を見て、自分のだらしなさを正当化したり、
「なーんだ、世の中みんな一緒ジャン♪」
と安心している防衛規制なんだろうと思う。
もっともこんなオイラも、所謂ものが散乱した汚部屋のごとき部屋で生活しているし、一応回りにある気配に
「床で寝ますけど、眠らせてあげてください…」
と、動物見学小屋の板の上で眠った鈴井孝之社長のように、ひっそりこっそり昼寝をしたりするもんな。
ま、それをきちんと理解すれば、自ずと誰を大切にして、誰を切り捨てるか、という選択も賢明に行えると言うものかも知れない。
オイラは決してクリスチャンではないが、ミッション系の幼稚園で刷り込まれた部分もあるのだろう。こういう「神の目」に対峙して、恥ずかしくないように生活したいと言う部分は尊重できるな。
神を信じないものは地獄に堕ちるのです、と押しつけがましく布教してくるような奴らは唾すべきやつらだ、と批判的だけどな。