ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

死の尊厳とドナドナの歌が聞こえる場所

先日「も」本人がイヤだといっているのにもかかわらず、管理者の策謀により、医者と家族のネットワークを駆使して、ごり押しで入院させるという事が起きていた。日頃からこの方は、
「ころっと死んでしまいたいなー…」
と言っている方である。もちろん、老化の過程では一時的な鬱症状というのは頻繁に出てもおかしくないので表面通りに受け取っていけないのだけれどね。
ただ、当人の日頃の言動、行動、思想…。何を取っても一貫して
「このままからだが自由にならなくなるほど老いていくなら、ころっと死んでしまいたい」という姿勢は感じ取れる。…この未熟な介護職員であるオイラですら。
で、死を選ぶ尊厳というものをしみじみと考えたりした。
…難しいよな。
オイラはたまに心のよりどころとして仏教神道にすがるような平均的な日本人の宗教倫理観をもっているのだけれど、それらの教えでいわれるような極楽浄土とか、生まれ変わりとか、殆ど信じない。
死んでしまえば無である。
そう思うようになってから長い。
もっとも現実にあっても困るのだけれどね。死しても尚、意識が存在して、その中で苦しまなければならないと考えるとウンザリするからな。


正直、誰が勝手に死を選ぼうが構わない。残された遺族。確かに大変だろう。けれども病気や苦痛を背負っていた当人にしかわかり得ないということがたくさんある。それを、強いるべきものではないとオイラは考える。
自分がその汚名を背負う覚悟が出来る限り、どんな死に方をしても構わないのではないだろうか?
…もっとも、生きたいと願う他人を巻き込むような死に方は論外であるけど。
そう言うのは畜生にも劣るものだ。


一介護職員が自分より長い経験を得て生活して出した信念に、どうケチをつけることが出来るだろうか?
「○○さんの命を守るのが私の使命です」
そんなひとりよがりの使命なんて、はなはだ迷惑なお節介である。
そう思いながら、
「病院で診察して早く帰ってこようねぇ〜♪」
といいながら当人を車いすで連れて行く管理者と不安そうな当人を見ながら、オイラはそっとドナドナを心の中でうたった。
真面目な話し、本当に声に出してうたってやろうかと思った。やっていることは、まさにそれと同じだからね。
そのまま入院して帰ってこない当人の部屋は、ちょっと寂しげなものである。