ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

肉と肉と肉と漫画肉

さてさて、愛知県は夏真っ盛りでな。その暑さがじわじわとオイラの体力より気力を奪いつつあるというのは、以前学生の時にこの土地に住んでいたときに感じていたことである。金のためならなんでもやるよ? というフレーズが世の中にはあるが、さながら
「涼しいためならなんにもやらないよ?」
という感じのオイラなのである。ま、その割には休日返上でたくさんアルバイトしたけれどな・・・。
で、この間なーにも書いてなかったかというとそういうわけでもなく、ちまちまと書いては没にしていました。なんだか読み直してみると救いが無くてね。自分でイヤになっちゃうんだよ。
人は誰しも、というわけではないけれど、オイラの場合は自分の不満、窮状に対して正当化する言い訳をしたり、わざと笑ってネタにするような人格があり、便宜的に「女々しい自分」と名付ける。
そして、同じように不満、窮状に対してグチャグチャ考えるより、えーいままよ、面倒くせぇ。と、脇目もふらず自分一人で解決に動いてしまう人格があり、便宜的に「ガサツな自分」と名付ける。
その両方のがっぷり四つの勝負の場がブログを書くという行為なんだよね。だから、最近地震の影響で工場が止まって生活の不安を感じたり、選挙で色々な社会生活のテーマが提示されて、それについて色々と考えていたから、書きためたことはたくさんある。けれども、たまたまこの時期は「がさつな自分」の性格が優位に立っており、そうした言い訳めいて、世論の同じ部分だけを集めた不満の塊の文章を良しとできなかったんだな〜。
しゃらくせぇ! 金がねぇなら働くわ! 工場が休みならバイトしてお金を稼ぐわ!
政治なんてあてにしねぇ、会社だって信じねぇ。わかるのは自分が動いて働いて対価を得ると言うことだけだ。
という感じで、もー理論もくそもあったもんじゃないw
・・・ただな、そうやって自分のことばかり考えて行動していると行き着くところは「弱者切り捨て」の社会でな。それは望んでいることではなかったりする。もちろん、今の自分の生活を考えると他人の面倒を見る穂と余裕がないのも事実なんだけれど、かといってね・・・。
なのでたまに「女々しい自分」が声高らかに偉そうな正当な理論を振りかざしたりするんだよ。
ま、揺れる乙女ゴゴロだよな。そんなことを考えていると書けないときがあると言うことです。

で、今日の仕事の帰りね、会社の組合連中が工員に対して中越沖地震の募金活動をしていた。普段、昼休みの缶コーヒー1本分のお金しか無いオイラは当然申し訳ない表情をしながらスルーw。・・・事前に言えよ。そういうときは少しは持ってくるよ。
けどちょっと思ったのはー、
「組合さー、貧乏人ばかりからお金集める以外にできること無い?」
って事。
こういう事が法律上できるのか知らないのを承知の上で書くのだけれど、組合が中心になって経営陣〜つまり資本家層だな。そこに対して寄付を訴える事ってできないのかしら? 組合の総意として、製品のユーザーであった人々を救うのも企業の役目じゃないですか? とかいってさ。株主配当の1%でもそれ以下でも寄付として送るんだよ。株主を説得するのは今度は経営陣の役目だな。末端の社員の意見を組合を通して会社の意見として飲み込ませ、金のある奴にお金を出させるというのも、重要な役割なんじゃないかとおもっちまいました。楽な人から金ばかり集めるなよって事。

ま、そんなご大層なことは滅多に考えないけれどな。たまに貧富の差とか当たり前のように言われると貧乏なオイラもはらたってそういうこと考えるよ。