ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

悲しい時には普通に泣くのが一番だとオラ思う

「ヤムさん」 by Yashica Electro35 GS よりトリミング実施

昨夜は激しい下痢が再び襲ってきて、夜中に何度も起きる羽目となりよく眠れなかった。ようやく落ち着いたのが空もスッカリ明るくなった朝の5時過ぎ。そこからひたすら安心したかのごとく眠りについたオイラである。


以下より下は全く暗い色彩をまとったものになるので、気分的に暗くなったりしたくない方は読み飛ばしてくださいね。


夕方より少し前、妻を職場に送り届け、オイラは求人誌を見ながら職の優先順位をつけていた。いくらなりふり構わずと言っても、それなりに序列をつけないとやがて破綻をきたしたりするので、やはりちょっとは贅沢な事を考えるのである。実はこのさじ加減がとても難しい。
5時頃妹より入電。重篤な症状で何とかもっていた実家のヤムさん(シャム系雑種 雄〜去勢 享年17歳)が他界したとのこと。
それで、オイラのネットワークなどを使って火葬やらそういうことができる場所を調べて欲しいのと、明日運転手をして欲しいとの依頼だった。たしかに、妹は精神的混乱と悲しさから、やっと話せる状態で調べる余裕もないだろうし、明日運転することも難しいと判断できたので了承した。
それでも話してくれた内容によると、点滴を受けるため病院へ送り、処置中自宅で待機していた妹が迎えに行って、そこで息を引き取ったらしい。それは、まるで手のかかる妹にちゃんと「しっかりしてくれな」とお別れを告げるような感じだったのかもしれない。
奇しくも昨日ペットの医療についてチョイと触れたのだけれど、その翌日。周りはそれとない覚悟をしていたとはいえ、やはりその衝撃というのは大きいものである。
ペットロス、と言うことが何年も前から取り上げられることがあるが、アレというのは「自分が世話をしないと死んでしまう」という緊張感の中で(それは深く意識することはないのだけれど)、その変わりに癒しとも言えるような感情をもたらしてくれるペットが死んでしまう。もちろん「死」そのもの自体が悲しいことなんだけれど、そこにはもっと治療費をかければよかったという後悔や、もっと一緒にいる時間を作ればよかったとか、長年共に生活してきた中で「少し後ろめたい気持ち」が自分の頭の中で増長してたまらない気持ちになり、日常生活への復帰へ支障をきたすものなんじゃないかと思う。それは、もしかしたら子供を亡くした時の感情に近いのかもしれない。(もちろん、オイラにはわからない感情なんだけれど・・・)
ともかく、母はすぐに妹とヤムさんに会いに行き、職場のつてから斎場を紹介してもらった。明日は、その役割を果たしに行く。




ヤムさんについて、
彼はオイラが大学進学のため、名古屋に引っ越した後に実家につれられてきた。・・・たしかお値段は5千円くらいだったような。
小さい頃は見た目ほとんどシャム猫だったのだけれど、成長するに従って少しブラウンを帯びた色と、わずかな縞模様が体に走り、独特な雰囲気を醸し出していた。表情は西洋猫のそれであり、自分に関わる猫だからと言うひいき目なんだろうけれど「美猫」と言ってもよい感じだった。
性格はおそらくシャム系の宿命なのだろうけれど、気性は少しきつい感じで、うかつに触れようとすると爪立て猫パンチが飛んでくる。ま、本人は軽い遊びみたいなのだろうけれど・・・。・・・爪はやめろよな。
肉球を触られたり、持ち上げられるのが何より嫌いで、性格も臆病。知らない人が訪問するとすっ飛んで押入にこもるという一面もあった。それでも、オイラは大学から里帰りして初対面した時には、ニオイが残っていたのかもしれない、逃げずに好奇心たっぷりにニオイを嗅ぎにきていたっけな。・・・ま、なでられるのは好きだけれど、すぐに飽きて手に爪を立ててじゃれつくという困った癖があった。
おもちゃが好きで、目の前で技を駆使して関心を取り付けると、彼は野生動物のごとく身構え、視線をくべ、集中し、一瞬のおもちゃのダッシュに合わせて彼もダッシュしてくる。そして、飼い主にそのままぶつかるとか、おもちゃじゃなくて飼い主の手の方に攻撃してくるなど、やんちゃなものだった。・・・小さき頃は天井にぶら下げた洗濯物によくぶら下がっていたらしい。
今の家に引っ越すまでは、彼のお気に入りの場所というのがあって、一つは妹のベットの上。なかなか妹以外にはなつかない猫でもあったが、妹に対しては全幅の信頼を置いているようで、トラブルの話などは聞かなかった。もう一つは食器棚の上。天井から約20センチ下、床から190センチくらいの狭い場所だった。彼は、まずテーブルに登り、洗濯機に飛び移り、冷蔵庫に飛び乗ってから、悠々と食器棚の定位置にあがる。それからはマッタリと下界を見下ろして、多分冬でもストーブの熱が上がって暖かかったのだろう、のんびりと眠そうな顔をしてくつろいでいた。
オイラは真性の猫アレルギーで、大学から実家に里帰りするとひどい喘息を起こして死ぬ思いをしていたのだけれど、そんな事何か舞わずオイラの側に寄ってきて、ちょっかいをかけに来るというその「無遠慮さ」も猫らしくて、オイラは気に入っていた。


その後は加齢につれて落ち着いたというか、性格に丸みを帯びてきたのだけれど、目なんかは明らかに白内障だし、動きも機敏さが無くなって、食器棚の一番上でのんびりすると言う姿は見られなくなったものだ。
それでも、ほんの1ヶ月前くらいまではのんびりとはいえ歩いていたし、ほぼ寝たきりになったのはここ1週間くらい。もっとも点滴治療はずいぶん前からやっていたらしいけれどね・・・。
最後に彼を見たのは、先週。病院の治療帰りで、たつこともできず、頭をなでると何となく反応してこちらの方にあまたを向けるくらいだった。それでもあごひげの辺りをなでると、頭は平べったくなりコブラみたいになっていたんだけれどね。


猫の17歳というのは、どうなんなどう?
昔から比べると、長生きなのだろう。
今の猫でも、自由に散歩して感染症にかかる猫に比べると長生きだったのだろう。
彼はオイラの家のいろいろな複雑な事情をこの17年間見続けてきたのだろうけれど、満足した一生だったのだろうか?
本当に命の重さに変わりはない。
悲しい感情は平等にある。
まずは写経して、冥福を祈っていこうと思う。
CO2排出権みたいに、寿命の取引ができるなら、彼にオイラの分をあげたかったところなんだけれどな。