ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

あの子は飛行機雲


「正直効果があるとは思えないカンバン」 by SH902i

そうだ。いつも休日は泥のように眠りこけるのだ。そして、実際眠ろうとすると明日のうんざりした気分に包まれて、なかなか眠ろうとできない。・・・ま、ちょっとした小学生の「お腹痛い病」だね。でも、違う点と言えばお腹が痛かろうと、下痢が垂れ流れていようととりあえず今日の給料のために神経を削って出勤する辺りだね。本当は面倒で仕方ないくせに、それでも働かなくてはいけないと思い続けるに至った幼少期の道徳教育というのは実に洗脳たっぷりだな。
実は世界の富豪なんて、数字を右から左に動かすような「汗水垂らさない」仕事で巨万の富を築く。もちろん、それが高度な頭脳労働でる事はわかっているし、それを始めるまでに至るまでの資金調達をするのが大変である事も知っている。
・・・親の七光りでなければな。


そんなわけで、今を思い出すには辛すぎるオイラはちょっと趣向を変えて、「あー、思い出すとちょっと楽しかったよなぁ。」という思い出に現実逃避する事にする。


時は大学生の末期から、今思え花にも考えてない状態で社会人として働きだし、サッポロに送り返されるまでの間。
この時、間違いなくオイラの相棒はセガサターンだった。当時、コイツは凄い高くて5万8千円くらいしたんだよね。それに、バーチャファイターのソフトを付けると軽々と6万円を超過していた。でも、オイラはそこで飯を削り、交通費を40分の自転車走行という形で浮かせ、自分のものとした。
最初はバーチャファイターしかソフトがなかったので、オイラのボロアパートに夜な夜な友人が集まり、へらへら笑いながら延々と徹夜プレイをする。この時からオイラすでに、
「いかに勝負にシビアに接するか?」
と言う事より、
「いかにネタで笑わせるか?」
と言う事の方が遙かに重要である事を認識していたので、勝つ事にこだわらず、いかに相手をビックリさせて動揺を誘うかが一番重要な事だった。
やがて、卒業して人は段々より付かなくなり、相棒セガサターンデイトナUSAが登場した頃には、仕事から帰るたびに夜な夜なプレイをして同じコースを飽きもせずに何度も回り続け、100分の1秒を削るために魂も削っていた。この時はまだお酒を飲む人だったので、とくに翌日仕事休みの土曜日には、バーボンをロックで飲みつつ、酔っぱらい運転のようにプレイし(当然タイムなど縮まるはずもないのだけれど)、そして新日本プロレスのテレビを見て、潰れるように寝た。それでも楽しかったように感じるのはまだ若かった生だろうか?
その内にセガラリーが登場して、オイラはよりストイックにタイムアタックにのめり込んでいった。就職して半年も過ぎるとほとんど営業という仕事はイヤになっていたので、楽しみはそれくらいだったもんな。その後、バーチャファイター2が販売され、札幌に送り返されるまでのわずかな期間はそのソフトで大学時代のみんなと多いに盛り上がった。おそらく、同じ年代の年中は、酒を飲みに行ったり、車でドライブしたり、色々な遊び方を身につけていったのかもしれないけれど、オイラの中ではゲームが一番の娯楽だった。
平行して、ピンポン録音でギターを中心に作曲もしたりしたし、何かと知恵があふれ出る時代でもあった。
でも、やっぱり「向いてないな」と思う仕事をいつまでもだらだらと続けるのはよくないものだ。「継続する事が美徳」であると今もまだ言われ続けているけれど、若い内に本当にくだらないと判断して、別の新しい道にチャレンジするのもまた今までの時代と違った美徳なのかもしれない。
特に、「継続が美徳」という点に関しては、この不況の元では全く無意味になりつつあるし。もちろん、現在レールに乗っている人はそのレールにしがみつかなければならない。彼らはそういう道を選んだのだから。
安定した待遇を得るというのも実は、地道な努力の積み重ねが必要でもあり、それはそれで神経を消耗する。でも、まぁそれで幸せになれる人がいるなら、それはあなたの役割として受入れてみるのもよいのかもしれない。
特に自分の行いで幸せになれる事のない、(特に我々派遣のごとく使い捨ての階層は)、悔いを残さぬようそう長くはない最期の一瞬まで、投げ出すことなく色々な思索を張り巡らせるのがよい事かもしれない。