だんだん忘れることを時に悲しいと思う
じいちゃんの命日である。
31日が命日というのは、どうしてもオイラの中では月命日の概念がすっ飛んでしまうようでして、今もこうして、あっ、という感じで思い出しました。
なくなったばかりの頃は毎日と言わずずっとじいちゃんのことを考えてばかりいたけどど、次第に思い出していない日に気がつくようになって、
先日は三回忌で集まったけれど、命日の今日はぼやっと家で過ごしていて忘れそうになってきた。
じいちゃんのことは忘れることはないけど、命日ってなんか、それ自体が悲しい記憶なので特にオイラみたいな辛い記憶を忘れるタイプは離れていってしまう記念日なのかな。
ただ、何もせず終わるのがなんとなく嫌だったので自宅から数珠を持って合掌する。