ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

キツいことも避けられない時、受け身という技がある


「ちょっと失念、肖像権的にごめんなさい」noahページより


一夜過ぎ、一夜過ぎ、記憶は遠のいて、やがて痛みの感じぬところとなる。
そんな暮らしを繰り返し、人はなんとは苦しみに満ちること無く生きていけるのだろう。
けれども、やがてやってくる不幸な知らせ。
そいつにすっかり打ちのめされる。


オイラが三沢光晴を初めて目の当たりにしたのは(テレビだけれど)三沢がまさに虎のマスクを脱ぎ捨てる試合だった。
当時はもう名古屋で学生をしていたから、ちょいと帰省をした時の実家で夜中までテレビを見ているうちに
「おぉ、なんだかすごいことになっているぞ。」
と釘付けになった試合でもあった。
その後しばし忘れていたのだけれど、再び名古屋の部屋で金曜日の夜に全日本プロレス中継があって、他の野郎どもが疲れでその辺りに転がって寝静まり始めた頃にオイラは夢中になってみていた。
この頃はジャンボ鶴田との世代闘争みたいな感じで(当時はジャンボ鶴田が全日本のエースということすらろくに知らなかったな)、とにかく技に切れがあって(当時は)ハンサムな三沢のファンになっていた。とくにタイガードライバーという技はちょっとした衝撃で、本当に奇麗な技で、かつ説得力もあるものだった。
その内、ジャンボ鶴田が病気により離脱して、真のエースになった三沢は本当に強かった。
同じ時期には、引退間際の猪木がいる新日本も見ていたのだけれど、技以外のストーリーに重きを置いているように感じられた新日本に対して、地味なんだけれどひたすらリングの上での(それはそれは長い1試合時間)攻防は、いつも期待を裏切るものではなかった。
その内に、馬場が死んでしまって、全日本を離脱する騒動が起きるのだけれど、なんだか三沢に対してはオイラ全幅の信頼を置いていたようで、毎週週刊ゴングを買っては読んで、週刊ファイトを買っては読んで、ファイプロで遊んで、なんだかまぁ、オイラ位の年代では「初代タイガーマスク」で全盛期を迎えるはずがオイラはずいぶんとずれて旬な時代がやってきたのだった。


途中、テレビの露出も多くなり、技の切れも重たくなって、
「やっぱり年なのかしら?」
と思うことはあったけれど、それでも老いて適当な試合でお茶を濁すような感じには見えなくて、タイトル戦には関心がいくような感じだった。


例えば、F1のアイルトン・セナ、あまり関心は無かったけれどバイクの加藤大二郎、その他多くのヒーローたち。この人だけは絶対に大丈夫、と思っている信頼が崩れるとき、本当に大きなインパクトに見舞われる。
三沢がまさか受け身の取り損ないで死んでしまうなんて想像もできなかったのに、事実はこうして目の前に突きつけられる。
そんな時は、とても頼りない気持ちでいくつもの日々を過ごしながら、時ノ流れにゆっくりを衝撃を解かして和らげていくしか無いのでしょうね。


とても残念、本当に悲しい事故。
合掌