ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

よう、くそむし


「青空にのびる枝葉のごとく」by SH902i


ぱけちゃん、また白地に黒文字の単純なテキストエディタにもどっちゃってかなりしょんぼり。


先日書いた内容に間違いというか、見識の誤りがあったようなので故人を偲びながら訂正する。
「受け身と取り損なって」と書いたのはどうやら間違いのようだ。三沢光晴はやはり受け身の天才なのでたとえバンラスを崩しても「取り損なう」と言うことは無いと今でも感じる。ここ最近の三沢光晴は頸椎の痛みで下を向くことすら難しいくらいの状態だったらしい。今思うと、それはずれてきた頸椎が限界を教える悲鳴だったのかもしれない。そして、あの試合の日昔と同じように技を受けて、昔と同じように受け身を取って、限界にきていた頸椎がズレて生命をつかさどる神経に致命的なダメージを与え、帰らぬ人になったのだと今は断言できそうだ。
そういう姿をほとんどださない人だったから、よけいにショックだったりする。やんややんやと四天王プロレスを喜んでみていたけれど、やっぱり無理がある試合だったのだな、と感じる。それでも、無理を押してやり通したというところにすごさを感じるのだけれどね。
今となっても残念で、寂しいものです。


さて、オイラの休日はこのところの札幌の空模様と同じくらい中途半端に終わっている。
「なんだかどこかにいきたいな〜」
と思いつつ、鉛のごとく感じられる体にうんざりして、正座してちんまりしているうちに気力が全部無くなっちまう。なんだかんだとストレスを溜め込んでいるのだろうか? あんまり面白いと感じることもないからなぁー。なんていいつつ、くだらないことを見つけてはケラケラ笑っているような記憶もあるし、なんだか自分の心模様がよくわからん。
ま、そんな時は適当に過ごして今日を終わらせるだけなのだけれど。
・・・睡眠導入剤も効果的に働いてくれることだし。


iTunesでランダムに曲を流していると、
「あれー、この曲こんなにいい曲だったかな?」
などという発見がある。おそらく歳を取ることによって若い頃とは違った感覚が宿り始めているせいなのかもしれない。そういう意味では、無意味に容量を消費しつつももっている自分のCDをどんどん取り込んでライブラリしておくのは面白いのかもしれない。
クラシックだけはちゃんとしたオーディオで聞いた方が劣化が無くて良いのだけれど、ポピュラーは「ある程度ラジオやテレビで流れるときに劣化が生じることが前提」の音楽だから、パソコンの品質の悪い音源でも大して気にならない。ポピュラー音楽の本質は音質とは別のところにあると思うしねぇ。