ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

木漏れ日のように、ボクの正面で微笑んでいた彼女

公園脇の老舗ホテルのイルミネーション

昨晩は、夜更かしサタデーなので2時くらいに寝た。しかし、パソコンなどをいじくって遊んでいたので、Dr.コトー診療所の後編はまだ見ていない。そして、結果今日も見ていないのだ。まぁ、落ち着いた時に見るさ。
起きたのは8時半くらいであった。昨夜の酒のせいで下痢になるかと思ったが、意外と胃腸が丈夫になっているらしく、特にそんなことはなかった。放尿して残存アルコールを放出する。
朝ご飯は、なんとなく食欲もなかったし、面倒な感じがしたので食パンを一枚かじってコーヒーで流し込んだ。これもボストンベイクの食パンだから出来ることなんだ。コンビニの食パンだと、何かつけないと上手に喉を流れていかないからね。
そして、パソコンで一日の流れを確認して10時を待つ。で、左翼で有名なTBSのサンデージャポンを見る。冒頭は、殆ど興味のない野球の話をしていたが、とうとう、やっと、ついに、まさか? えぇ? 相手は誰? 何というボランティア精神がある…、でも年取った今の方が普通に見られるからな…、これも公務員としての仕事なのですか? と、騒がれた某高貴な血筋の長女、通称「サーヤ」が結婚なさるというニュースが流されていた。むぅ、でも最近多少よくなったよね、ってやっぱりオイラもオヤジになったからそういう風に見えるようになったのかなぁ。なんだか、イヤだなぁ…。
で、領海侵犯の話ではオイラの恋人、テレンス・リーが登場した。問題の漢級原子力潜水艦とは、いかなるものか? と、解説をしていた。彼の話によると、非常にお粗末な潜水艦らしい。で、そのお粗末な機械が原子力を積んで日本の海を通ることが問題なのだ! と、力説していた。確かに、あんな場所で原子力漏れなんかやられたら、Dr.コトー診療所の撮影もなくなってしまい、台湾に行く観光客も激減するし、何より吉岡君の仕事がまた危なくなってしまうじゃないか! やっと、純君以外の役で立派に俳優としてやっているのにね。そう思うと、オイラは柴咲コウの代わりに、
「問答無用!」
と、言い放ち、瓦でも割ってやろうかと思った。が、ここは北海道なので瓦は寺や神社に行かないとない。貴重品なんだ。本州みたいに、適当に屋根に乗っかっているわけではないのだ。仕方なく、ボストンベイクの食パンを叩いた。
そして、「食べ物を粗末にするんじゃぁ、ねぇ!」と、オイラは妻に叩かれた。ターミネーター2のT-1000がショットガンで撃たれた時のように、頭が半分に割れた。拾い集めるのが大変だった。多分、足りないだろう…。まぁ、元から足りないからいいんだ。
しばらく見ていたが、コタツで丸くなっているうちに眠ってしまったようだ。オイラは、コタツでたっぷりと水分を搾り取られ、苦悶の声と共に目を覚ます。
すると、あら不思議。昼ご飯の時間だ。ズルズル。
その後、2時にうちの母と義理母の面談があるので、母を迎えに行く。
で、ロイヤルホストへ入る。
う、なんだこのドリンクバーというのは? つまりコーヒーなどの飲み物はセルフサービスと言うことですね? なんだか味気ないし、ロイヤルなホストでないような感じがした。なんとなく、ガストになってしまったか。ブルウタスよ、オマエもか。という感じである。
コーヒーカップをサーバーにセットして、ボタンを押す。きれの悪いじいさんのおしっこのようにタラタラとコーヒーがカップに落ちる。…妙に泡が多いな。これはギネスビールか? そう思うほどだった。
で、席に戻りコーヒーをすする…

(身内のことであり、見苦しいので割愛させて頂きます…)



夕方、店を出る。買い物をして帰りたいという母を近くの西友まで送り、別れる。
で、オイラ達は自宅に戻る。しばしマッタリしたかったが、ワイパックスを飲んでビデオゲームで気分を紛らわした。で、日記をつけた。
さて、晩ご飯の時間になった。おいしく魚を食べた。にゃーお。
晩ご飯の後は、鉄腕ダッシュが流れていたが、なんだかテレビを見ているようなのんびり気分じゃないわね♪ と、尾崎豊ダンスホールの一節を歌いながら、隣の部屋へ消えるオイラ。もう、義理母には、
何なんだ、この亭主は…。
と、思われていること請け合いだろう。で、昨晩のジャイアントな女友達のマンドリン演奏会に触発されて、オイラが学生で部長やコントラバスの主席奏者をやっていた時の演奏会のテープを引っ張り出して聞いていた。
「うるさいんじゃぁ、ヴォケェ!」
と、妻の苦情が入ったのでおとなしくヘッドホンにつないで聞き始める。
う〜ん、懐かしいな。思い返せば自分の熱すぎる吉田栄作のような無意味な情熱をみんなに押しつけて、無理難題を通したっけな…。テープを聞き返したら、演奏会の時間の長いこと長いこと…。多分、お客さんも迷惑だったろう。でも、当時は聞きに来てくれる人には所謂「捨て曲、練習用曲」なんてものを出したくなかったし、名曲ばかりを選んで通した。多分、一番の被害者は指揮者だったと思う。もう、すでに結婚されているので人格が曲がらなくて本当によかったと思う。
おまけに、下級生をあえて無視するかのように、とにかくスピード感を要求し続けたオイラ。多分、パート練習でも首席奏者の方々はパート員から非難囂々だったろうとも思う。そんでも、頑張って練習してくれて、テープを聴くにつけ本当にいい仲間に恵まれたよな、と涙チョチョ切れそうになった。
まぁ、一つ納得がいかないのは、オイラはファンクラブ1号だと豪語していたファーストの女の子が、よその大学のマンドリンクラブの奴に持って行かれたことはなんとなく面白くないという気持ちもあるが、そういうのも人生だ。ファンクラブの会員は、遠くから幸せを願うというのが掟なのである。ハイ。
アンコールでは、とんでもない曲を選び、一生懸命に編曲してくれたのにアンコールという曲の性質故、あまり練習時間がとれないまま人前で披露したことは、編曲をしてくれた先輩に非常に申し訳なく思っている。
…なんだか、公開懺悔のような場になっているな。
でも、そんなことを思い出すにつれ、ちょっとずつ自分の自信と役割、自分の性格が思い出されてきたような気がする。まさに、温故知新である。なんだか、真面目だね。