ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

人の生き死にを、他人がとやかく言うことは出来ない

空

正月そうそうで申し訳ないが、普通にシリアスな日記だ。
読み飛ばしてくれて構わない。

今日、父方の伯母が他界した。
とても賑やかな筈の元日は、悲しい命日として刻まれることになる。
僕は小さい頃から、人見知りがひどかったので、なんとなく父方の親類とは距離を置きがちだったのだが、
それでも、家族で訪問した時には、色々と気をつかって楽しませてくれようとしていた気がする。

夜の8時過ぎに父から電話が入り、伯母の他界を知る。
父は駆けつけたいところなのだが、間が悪く酒を飲んでしまった後だったため、
僕に、札幌から100kmほど離れた町、滝川まで乗せていって欲しいと言うことだった。
そこから、とりあえずハムスターに餌をあげるなど、家のことを整理して準備する。
父に電話をすると、通夜と告別式は2〜3日後と確認したため、一度札幌に戻るので
適当に区切りだけつけて、実家へ車で出発する。
で、父を乗せて、高速道路経由で滝川の叔母の家へ到着する。1時間半の所要時間だった。
父は伯母の亡骸と対面し、泣きながら声をかけていた。
ただ、事情をきちんと把握できていない、従兄弟達の小さな子供達だけが、はしゃいで遊んでいた。
丁度いいので、先日キャッツアイでゲットしてもてあましていたぬいぐるみを、仲良く分けるように言ってあげた。
何か新しいものとの出会いがあった時の、子供の表情を見るのはとても幸せな気持ちがするもんだ。
結局、父は4日〜5日に行われる通夜と告別式まで、伯母の家に滞在することにして、
僕は、そのまま午前2時半に滝川を出発して午前5時に自宅に着いた。
父も一緒に戻ろうかな、ということを言っていたが
従兄弟、つまりお母さんを亡くしてしまった子が
「お母さん寂しがりだから、なるべく一緒にいようね」
と、言っていた言葉を思い出して、そこに残るように言って、父も納得したようだった。
僕も、伯母の亡骸に向かい、線香をあげ
「お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。そして、ここにいるみんなを天から見守ってあげてください」
と、祈っておいた。
本当に、お疲れ様でした。
髪の毛が抜けるほどのストレスを抱え、それでも訪問した時には人なつっこそうに話しかけてくれた伯母に本当にお疲れ様と言いたい。
それでも、きちんとおせち料理まで作り上げていって、普通に散歩に出て行って、本当に、どうしてなの? と言う気持ちがこみ上げてくる。
突然消えていく命というのは、僕にとってはこのことが初めてである。
病気などであれば、入院の話を聞いたり、なんとなく心構えがあったりするのだけれど、
そうでない時というのは、本当に難しいことだ。
おそらく、一番の身内も明確に理解できないだろうし、認めたくない思いが強いかも知れない。
ただ、残された人々が悲しさを背負っていくのだろう。
けれども、逝ってしまった人にその責任を問うつもりはない。
頑張って、限界を感じた本人が出した答えだ。仕方がない。
ただ、悲しさは強くいつまでも心に残るのかも知れない……。


平成17年1月1日
伯母は、自宅で自らの首をつり、亭主に発見される。
懸命の救命処置が施されたが、その思いは届かなかったようだ。
僕はただ、伯母の冥福を祈る。そして、親戚達の悲しみが少しでも癒されていくように祈る。
1月4日、再び僕は生まれ故郷である滝川へ行き、最後の見送りをしてくる。


それまでは、日記は休むかも知れない。
あまりチャラけた気持ちになれないからね……。