ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

紫色の空を見て猛省する

このところ高い確率で土日はブログを更新していますね・・・。
ここは通常の日記ではなく、仮面ライダー電王にあやかって懐かしい時代にとタイムトリップしてみようかしら・・・。
え、別に読みたくないって? ま、言いじゃん。自己満足なんだからさ。
時代は高校2年生。9月4日。・・・なぜかずっと覚えているんだよね。忘れることができない。これはオイラが高校1年から入部した弓道部を一度退部した日付である。
退部に関してはいろいろある。弓道等のは武道と言うだけあって的に当てるだけじゃ駄目だし、形を極めることで自ずと的へ矢が向かうという側面がある。・・・これって世界の七不思議だよw
で、オイラは弓を引ききらないうちに手を放してしまう「ハヤケ」という癖の、ものすごいひどい状態になって、危なくて的前に立てなくなっちゃったんだよね。で、部室でグダグダと冗談を噛まして動機の練習を笑わせるという役回りをしていたのだけれど、あるとき何気ない冗談を不用意にして友人をとても怒らせた。
そのときに、
「あー、試合に出ないのは許してもらうとしても、やっぱり邪魔になるようなオイラはいるべきじゃないよな」
そうおもい、いつもの冗談を書いたメモを渡すように部長に退部届を渡して家に帰った。
家に帰るとすぐに電話が来て、慰留されたが、元々の性格なのか、自分のした行為によほど反省したのか、簡単に戻ると言うことができなかった。・・・動機の練習には泣きながら引き留めてくれた人もいたのにね。
で、それから半年ほど、これといって打ち込むものもなく、同じクラスの友人宅に入り浸ってテレビゲームをして興じる次第。・・・それはある意味高校生活を飾る思い出の一つなんだけれど、何かを得ると何かを失うのだろうか? 弓道部のこともやはり気になっていた。
半年ほど過ぎて、ぶらぶらした生活にも飽きたオイラは、後輩が大会に出場するのに人数が足りないからと「人数合わせ」の為部活に復帰する。もちろん、例の癖は簡単に直るようなものではなく、他の奴からの「へたくそ」と訴える視線が痛かったが、それでも大会に人数がそろって出場できる後輩達はちょっと嬉しそうだった。団体戦とはいえ、究極的には個人の勝負だからな。
結果は、オイラが足を引っ張ったせいもあるし、後輩もまだ未熟だったから、良いものではなかったけど、試合が終わってから何度も彼らに感謝された。・・・そういうのはとても不思議な感じだった。
オイラは少し成長して、大学受験浪人をしていた。現役の時は理系(特に工学系)を志望していたのだけれど、そうにも数学のセンスがひどくてね、なんど同じ問題を復習しても、ちょっとでも数値や表現が変わるともう対応できないんだ。
この数学コンプレックスは、中学生の最初の頃、方程式の授業を病欠してからずっと続くひどいものである。・・・授業はまじめにでような。
そこで、浪人1年目の秋に進学相談課という予備校の担当者に相談して、カリキュラムを全部文系のものに変えてもらった。圧倒的に英語ができていたし、今後も数学、それに物理と化学の解を求めるための手計算が問題になるのは目に見えていた。
そこからは、文系として一生懸命頑張った。オイラは比較的研究を中心とする学問で、理系と文系の境目にあるような心理学科を志望したが、当時は心理学ブームでこれはそうとうな難関であった。それでも理系の時と違って、日々実力が追いついてくる感じは良かったな。
結局、北海道で一番の国立大学の文系を懲りずに受験していたけれど、センター試験の数学と二次試験の数学がネックとなったようで落ちてしまった。
ちょうどそのときに現役で入学してすでに1年生の友人と遭遇。結果を報告すると、
「・・・縁がないねぇ。」
と言ってくれた。多分、彼にとっては何気ない慰めの言葉なんだけれど、この時以来、オイラは「縁」という言葉に前向きなイメージを持てなくなってしまった。「縁」というのは自分ではどうにもコントロールできない不可触なもの・・・。その感じが、こんごオイラを悩ませ続けるなんて思いも寄らなかっただろうね。もちろん、彼が悪い訳じゃないし、これを使うことを否定する訳じゃない。ただ、オイラの心の底がいつもチクリと痛むだけの話だ。
それでも歳をとったせいか、顔色も変えずにその言葉を受け入れることができるようになってくるもんなんだね。・・・歳をとるというのは成長していくことなのか?果たして繊細な感受性を無くしていくことなのか?
未だにオイラには説くことのできない命題です。