ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

おっととっとサツだぜ’2007

暑いよね’71


これといった話題もなく、再び日曜日を迎えるのである。それが定めと誰が言ったかは知らないが、まぁそんな感じで日曜日は開幕するのである。
じゃ、日曜日恒例の話題は「仮面ライダー電王」の話である。子供だよな・・・。
ここまで脳天気な感じで進んできた同番組であるが、先々週あたりから本格的にシビアなストーリーが展開されてきて、休んでいた脳みそにもカツが入れられている感じである。とりあえず、ボスキャラっぽい奴が登場してきて表立って味方が危機にさらされるようになってきた。うん、そろそろそうこないとな。このまま終わったら、クライマックスシリーズの今年の巨人みたいになっちまう。
「やばい、味方の危機だ!」
と思ったら、そのまま助っ人が現れることもなくフルボッコでのされる惨めな主人公くらいに萎え萎えなエンディングを迎えてしまうモンな。ま、巨人が主人公とは思わないけど。
そんもって、今日は椎茸が大嫌いでいつも相棒とプロレスごっこをしている準主人公で、昔で言ったら2号ライダーみたいな奴が記憶からこぼれて「とりあえず」消えた。・・・ま、書いているオイラも途中で何を書いているのかわからなくなるような説明だな。でも、これくらいで抵抗感無くあらすじを受け入れることができないと子供とコミュニケーションがとれなくて鼻で笑われるぞ。
「とうちゃん、ダサイじゃん」
なんてな。なんとなくしゃれにならない感じがするけど、子供の居ないオイラは言いたい放題と言うことでオッケーよ。
しかしながら、そんなヘビーなストーリー展開でありがら主人公を支えるイマジンという仲間は、戦いの後ぐるぐる回って気持ち悪くなりゲロをはいているのだから、全く期待を裏切らないよな。ナイス、シナリオライター。同じシナリオライター同士でも、光市母子殺人事件の「シナリオライターさん達」はもっと共感を得られるような勉強をしてほしいところだ。


さて、番組が終わった後にしっかり二度寝をするのも日曜日恒例だ。以前は「サンデー・ジャポン」を喜んでみていたのだけれど、最近はオイラの師匠である「テレンス・リー」は見かけなくなったし、テリー伊藤のコメントの切れ味も鈍くなったような気がするし、デーブ・スペクターのコメントも相変わらずあさっての方向を向いている。それに胴締めのTBSは何かと怪しい話題を振りまいているから、特に見なくてもいいなと感じていたから良いことにしよう。・・・それにしても、燃料投下の技術はすばらしい放送局なのにもったいないところだ。


目覚めると朝だったら幸せだったかもしれないが、残念ながらオイラの苦行はそこはかとなくゆっくり進行するのであった。読みかけの文庫をひっつかんで読み終える。「レモン・インセスト」という小池真理子の小説だったのだけれど、正直
「・・・最後、面倒くさくなっただろ?」
というような終わり方だった。わからないこともないのだけれど、あまり信条としては受け入れられない店じまいの仕方だな。もちろん、これが短編小説としてなら「有り」なんだけれど、一応300ページを超える小説としては「駄目」とオイラは判断する。ま、素人意見だから的はずれなのだろうけれどね。


晩ご飯はオイラが作成した。とはいうものの、ベースができている焼きうどんで、タマネギとにんじんを適当に刻んで、豚肉を切って、放り込んで、小刻みにウェーブをしながらフライパンを揺らし、途中で1回転、2回転と体にしなりをつけながらスピンをし、最後にうどんとタレをたらし込んで、トリプルルッツをかまして皿に盛りつけるというありきたりな料理だから、自慢はできないか。
味は誰が作っても一緒。多分、垂らした汗の量によって微妙に味が違うのだろう。当然デブは汗っかきだから塩分多めね。


さて、そんな飯を食らったところで長寿番組の雄「日曜洋画劇場」の始まりだ。とはいうものの、このところは洋画ばかりじゃないんだよな。ま、洋画も善し悪しだからね。で、今日の内容は「バイオ・ハザード」だ。当然のことながらゾンビ好きにはたまらない作品の一つである。この作品のように、ゾンビという定義の曖昧なモンスターを生物科学と結びつけて解釈するというのは最近のゾンビ学の中では優勢を占めているのだけれど、それっていつの頃だったのかしら? カプコンの同映画の元ネタとなったゲーム「バイオ・ハザート」ではしっかりとこの流れが整理されて、一気に加速していったように思うのだけれど、これを
「この作品からです」
と断言できないところにオイラの研究の甘さがあるね。まだまだ精進しないと、論文を提出できなくて博士号がとれないじゃないか。
ま、そんなときでも
「・・・まぁ、いいさ」
と、ゾンビ(初代 Dawn of the dead)のラストシーンでのピーターの台詞をつぶやきながらヘリで飛び去るぱけちゃんなんだけれどな。ちなみに、飛び去った後で「論文は?」と尋ねるのは勘弁な。
やはりこの映画の最大の見せ場は、特殊部隊の黒人の奴が
「お、こいつが活躍するのね」
と思わせながら、序盤でとっとと編み目のレーザーにミンチにされる場面だよな。ある意味スゲー肩すかしで、初めて見たときにはびっくりしたもんだよ。一応、テレビでの放送と言うこともあり、それが本編では見えていたかどうだかは覚えていないけれど、編み目になって体が崩れ落ちる部分は見えなかった。ま、グロ耐性にに優れたオイラにとっては、麻婆豆腐を食いながら余裕で見られる場面なのだけどね。・・・どうしてこんな体になったかな。しかし、この映画がゾンビ映画として納得がいかないのは、単純な数の論理で迫ってくるゾンビの怖さを「雑魚」的に扱って、さらなる強敵に焦点を当てて続編にもっていくところだ。ま、科学は進歩だしな。リメイクというか新しく出された「Dawn of the dead」なんて、カール・ルイス張りに手のひらを広げながらゾンビが走って追いかけてきたくらいだからな。


そんな軽い批評をかましながら、ネットに接続して情報を収集しつつ、時間がきたところで久しぶりにプロレスを見る。オイラにとってのプロレスといえば、馬場がいた頃の全日本プロレスの所属選手の流れをくむプロレスリング・ノアだ。オイラがのんきに日曜日の夜にたまたま流れていた三沢がタイガーマスクの仮面を脱ぎ捨てる試合を目にして以来、三沢には熱い視線を投げかけている。もちろん、新宿2丁目方面の視線じゃないぞ。やはりオイラの中では三沢が君臨しているのである。・・・ま、最近では年と社長業のせいかからだがたるんで緑カエルなんて言われているけどな。・・・そこは大目に見ようよ、大人なら。
サモアジョーなる選手とのベルトを掛けた選手権試合だったのだけれど、外国人が挑戦者という時点で防衛確定フラグがたっている。後は試合内容だ。と、期待しないで見ていたのだけれどこいつが意外と器用な奴でな。いろいろな有名な大技を仕掛けてくる辺り、ちょっと心を捕まれたな。もちろん、オリジナリティーのある力強い大技がある、というのがチャンピオンの風格として必要なのだけれど、それまでにはファンの心もつかまないといけないし、そうでないとリングに上がる機会すらなかったりするからな。・・・ま、大人の対応というやつかね。
結局は社長の後頭部へのエルボーというえげつない技で勝敗がついたのだけれど、とりあえずこの試合では負けたサモア・ジョーの株も上がりと同時に、三沢も訳のわからん外国人には負けないという王道的なシナリオが成立したわけだ。ま、このブックの作りあたり上手だよな。一応言っておくけれど、光市母子殺人事件の「シナリオライターさん達」はもっと共感を得られるような勉強をしてほしいところだ。


プロレスを待っている間、ドキュメント'97を見ていたのだけれど、テーマは延命処置と尊厳死についてだった。
オイラ個人的な意見では尊厳死というのは有りなんだけれど、世の中には尊厳死を推し進めてほしいという団体がある一方、尊厳死は認められてはいけないという活動をしている団体があることも知った。尊厳死がいけないという、そういう活動自体知らなかったんだよね。理由は、法制化される元に本人の意志が何らかの政治力に曲げられて都合良く解釈され、どんどん治療が停止されるのを危惧しているから、・・・らしい。詳しくは調べてないのでごめんなさいね。
で、こういう考え方もあるのだな、としみじみ思う。
どちらにしても、こういうのは当事者達がつらい判断を下して責任をしょっていく物だから、周りがガタガタ言うのは個人的に好かない。