ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

両肩が非常に思い日々


「ヤムさんの思い出より 〜 おもちゃで遊んでもらうために口にくわえて行進してまいりました」

相変わらず消化器系が破綻状態な生活をしているのだけれど、おかげで随分痩せましたな。
期間工をしてスッカリ筋肉質な体になって体重が減って、家に戻って鬱を再発している内に再び体重がふえっぽかったのだけれど、下痢騒ぎが発生してから全く増加傾向は陰も見せず、減るばかり。と言うか、食っても流れていくだけだから増えないんだろうな。
ま、良いことにしておこう。メタボには引っかからないだろう。
メタボだと、色々国を挙げて制裁をしてくるからな。


現在、最重要な面接の結果待ちと言うこともあり、余計な求職活動を制限している。ぽっと出してすぐに決まるような場所だと重要な方の結果が出てない限り、行くわけにも行かないからなぁ・・・。
と言うわけで、お祈りメールでも何でも良いから早いところ決着がついてくれ、と日々気をもんでいるのだけれど、向こうには「少しでもマシなヤツ」と日々入れ替えながら選定しているらしく、一向に可否が帰ってこない。
そういうわけで、求人情報誌とにらめっこしたり、DSのTOEICトレーニングをいじったり、ネットで日本の行く末に気をもんだりしながら、ほぼ「薬が食事」の様な生活をしている。
現在は、妻が「甥っ子に遊んでもらうため」に時期をずらして里帰りをしていて、家の中にはオイラと1歳を過ぎて熟年期に入りながらも食欲だけは全盛期と全く変わりのないハムスターの2匹生活。
妻は腰痛が日によって重症だったり軽微だったりしながら、それでもある程度家事をやってくれていたのだが、現在の下痢を引きずりながらのオイラは介護職で全盛期だった頃の、
「・・・この汚れは虫がわくぞ」センサーが全く機能していないため、急速にウネウネと身をよじらせながら高速で駆け抜けていく、本なんかに寄生するような虫に支配されつつある。・・・ま、見かけるたびに駆逐しているんだけれどね。・・・殺生ばかりだ。
そんなわけで、時折風邪を引きながらも治しながら何とか生きながらえているわけだ。・・・以外と頑丈にできているんだよねぇ、成年期の体って。


てか、現在のオイラは本当に「嫌がっている」というのが客観的に理解できるのだけれど、今までお世話になったこともないPSW(精神保健衛生のソーシャルワーカー)にお世話になったり、障害年金の相談に行ったりと、全く一人でまともな生活を営むことが不可能なくらいに悪化している。・・・ようだ。・・・客観的健康状態から見て。
・・・。
・・・ちゃんと職場があって、安定した生活ができる「異常な残業とノルマ」さえない仕事があればこんな事態にはならないのだけれど、減点制度が脈絡と受け継がれている日本の雇用情勢だと、ここまでドロップアウトした人間を容易に拾い上げたりはしてくれないようだ。・・・と、感じるのだけれど実際はどうなのだろう。なんだか自分でもよくわからなくなってきている。


なんだか自分でも何ができるのか、全然自信がなくなって来ちゃったしな。
とはいうものの、余裕はないし・・・。仕方ないのだけれど、受け入れるしかないのだろう。
と言うわけで、下痢は治らず、何事にも集中できるというわけじゃなく、全く生産性がないのである。行動にも脈絡がないしな。大好きだった冷やかしすら最近は全然してないもんな。
これって色々なことが自分の中で枯れ始めているサインなんじゃないかと思うと、ちとこわいっすね。
とりあえず、今日は雨で風邪からも復帰しつつあるところなので、おとなしく寝て過ごす。脳みそがとろけるくらい寝て過ごす。


そういえば、脳死を迎えると人間の脳内では分解酵素が発生して、体が呼吸と血液の循環を継続(人工的にだけれど)させているのに脳だけがとっとと自らとろけて腐り果てていくそうな。健康な人の場合、手術などで開頭すると、しわっとした脳がしっかりとした弾力で存在しており、たまに取り出して処置をしても原型をしっかりととどめるのだけれど、脳死で分解酵素が出ちゃうともう駄目。ゆるんゆるんのだらんだらんになって、頭を開いたとたんによーくかき混ぜた麻婆豆腐の様な感じでだらだらと垂れ流れてくる、と言う話を聞いた。ま、誰から聞いたかというと中学の時行っていた塾の講師が北大の医学部に居たアルバイトで、その人の余談の中で説明があった。
ま、これを聞いて以来オイラは、
「あー、脳死って体は生きているように見えるけれど、本当に復帰する見込みって無いんだな・・・」
と思うようになったものだ。
でも出所不明の都市伝説みたいな話によると、脳死で臓器移植のために臓器を取り出そうとすると、脳は死んでいるはずなのに体が暴れて大変な事になるらしいのよねぇ、という。それを知っている医者達は自分は提供する側にも受ける側にもならないのだ、なんて話をどこかで見たけれど、本当かしらねぇー? 単なる脊髄反射じゃないかという気もするけれど。
どちらにしても、「身も心も」と表現する日本仏教と、体は神がくれたもので魂は神の子供達、と考えるキリスト教ではその理解度に開きがあるというのは現実的に仕方ないのかもしれないねぇ。