ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

また9月が来る・・・


「ヤムさんの思い出より 〜 押入にも身軽に登るヤンチャ野郎」

あれあれ、いつの間にか土曜日じゃないか。
今週は、週初めの下痢から始まりさすがに命の危険を感知したのだろうか? 精神的に全くのダルと成り果て、下痢を垂れ流しながら横になって時間を潰すと言う、酷い非生産的な生活様式に終始した。


そうしたら、ちょっとだけ下痢の様子がよくなったかな・・・。でも、胃が重たくて痛くなったりするから原因は残ったままだろうな。事実根本原因はそのまま放置されているし・・・。


そんでもふと目が覚めていた瞬間にテレビに映っていたのが「舞妓Haaaan!!! (公式 aが4つ イクスクラメーションマークが3つ)」だった。何というか、柴咲コウは最初の下りとか、バカで汚い役をやらせても面白いんだよな。顔が整っているだけに。
で、阿部サダヲの妙にテンションの高い演技に苦笑している内に、これもバカな演技をやらせたら面白い堤真一が混ざってきて、何気なく目が離せなくなってきたんだよな。
あらすじだけを述べてしまうと、
「そんなわけねぇだろ」
「どれだけ現実逃避よ」
「今時漫画でもそんな設定無いよ」
と突っ込みどころ満載なのだけれど、この映画はそういう突っ込みをするような映画ではない、と途中から悟り、おとなしく阿部サダヲのテンションに引っ張られつつ、舞妓さんの様式美に関心を示しつつ、ま、あっという間に終わった。


オイラがこの映画を見て感じたのは、自分の知らない世界があり、そこでステイタスを維持したり向上したりするために努力している人がいると言うことである。よくやり玉に挙げられる「金持ちや、そんなに稼いでどうするの」という事も、もし自分がそういう世界に属する人間になった時、今とは全く違った感情を持って維持するために必死になったり、向上させようとするのだろうな、と感じた。
人の満足というのはその人の主観であり、時には非難されようとも自分の主義主張、嗜好に基づいて決まって来るというのが基本である。
一見、「優雅だけど世間離れしていてのんき」に映る花街の世界なんだけれど、人それぞれに努力があったり、葛藤があったり、それはそれで他人がとやかく言える事じゃないんじゃないか? と思えてくる。・・・ま、オイラもちっとだけ花街に興味はわいたけれどな。


そうはいっても、そのステイタス意地にもルールがあり、やはり人から後ろ指を指される様なやり方ばかりしていると「粋じゃない」と言うことになったりするので、やはりそこには人間としての信頼度や資質が大きく関わってくる。
まー、オイラも現在底辺でくすぶっているのだけれど、花街で遊ぶくらいの給料は役員にやっても良いかしらね? 位の懐はもっているつもりである。
・・・事務所費を付け替えて、私腹を肥やすなんていうルール違反は相応の罰を食らうべきだけれどな。


とりあえず、今の国会議員に関しては、国民の許可無しに花街に立ち入ることは禁止、位の事はしても良いと感じる無能軍団である。早く、何か政策を実行しろよ。おまえら政策集団だろ?