ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

穏やかな分、青く揺らぐ炎のように怒りはかつてより激しい


「すべての人民はサドルの苦労に対して敬意を払え」 by SH902i

休日だった。
そして休日と言えば、例によってお役所回りである。ほんと、面倒だよな。それこそ守秘義務の問題さえクリアになれば「派遣で良いんじゃないの?」と思う。実際に窓口のでている人の半分近くは嘱託というバイトさんだけれどな。
そんな不満を心の内にため込みながら、市道民税の支払い相談に行ってくる。ご存じのようにオイラは昨年度の給料は話題の「期間従業員」として働いていたので、年収360万くらいあった。そのため今年の6月にその年収基準で計算された市道民税の請求書が来ているのだけど、当然今年の10月まで失業保険という実質無収入状態だったため支払うお金もなく「きちんと窓口に行って事情を説明して、遅延が生じる」と言う事を認可されて現在まで留保されていた。
・・・もちろん、黙って支払わないと向こうも頭に来ていきなり差し押さえという行政執行の手段にでるから、「相談する」という前向きな姿勢を示す事が重要だ。
話を戻すと、現在は3ヶ月契約ながらも収入が発生してきたので収入状況の変更を伝え、支払い計画を役人と立てるという作業に行ったわけだ。
もちろん、収入が発生したといえども、失業保険など本給料の6割程度の金額だし、1ヶ月ほど全く無収入で就職活動をしていた事もあるので、借り入れなども発生しており、順調に市道民税を支払える状況ではない。そういう事を、内心「もっとまともな事に税金を使えよな」という事を思いながらも真摯な姿勢で相談するわけだ。
実際に課金された市道民税は約13万。・・・どうやってこれを返済するのか?
・・・ものすごく頭の痛くなる相談なんですけど。
と厳しいストレスを抱えながらも月5000円で手をうってもらい、払える月は多めに返済する、というかつての住宅ローンのような約束をして今日は終了。・・・あとは首にならないようにがんばって働くしかねぇ。


そして、今度は父の様子見のために実家に行く。
父は幸い軽い脳出血からのリハビリから自宅に解放されたが、本人としては昔のように左手足を動かす事ができないので気持ちが凹んでいる様子。・・・ま、父が読まないのを知っているから書くと、脳梗塞脳出血で発生した障害は直る事はないのだ。たまに直ったという人がいるけれど、それは本人の努力と運が重なって「依然と変らない感覚で手足が動かせるように慣れた」というだけの事である。負った障害が直ったわけではない。
さ、そんな話は全く表情に出さないで会話ができるのは「営業で培った唯一の特技」なので、オイラは淡々と心配している事などを聞き、日々カレンダーに付けているというバイタルをチェックし、あとは父親と長男がよくあるように話す事など特にないため、それとなく灯油ストーブに当たりながら何でもない時間を過ごす。かつてなら家のヤムさんが、撫でろオーラを発散しながら茶の間に出てきたりするのだけれど、死んでしまうという生物学的仕組みはなんともまぁ残酷なものだね。
適当な時間に青森のおばさんから送られてきたという、スーパーに並んだら1個当たり200〜300円はするだろうという林檎をたくさんお裾分けしてもらう。


帰り、せっかくなのでリサイクルショップを点々とハシゴする。
現在、オイラが絶対に必要で、なんとしてもそろえたいものは2つに絞り込んでいる。エレキギター用のアンプ(できれば小型のアンプシミュレーター)と冬を茶の間でネットするためのCPUクロック1GHz程度のノートパソコンだ。
しかも予算は取っても限られているため、いかに「掘り出し物」を発見するか?と言う点が重要である。そして、本日はセカンドストリート2件、お宝倉庫1件を回ったがアンプシミュレーターの収穫はない。ノートパソコンに関してもとっても高級でオイラの視点から見ると、
「至れり尽くせりで、手を入れて軽くする工夫の余地が無く、高い」
ものばかりでやはり収穫無し。
ついでにヤマダ電機に立ち寄って、新品ノートパソコン市場を調査する。・・・何というか似たり寄ったりの価格設定で、やたらと高機能でメモリ当たり単価が高いものばかりだった。注目すべきはネットブックとか格安ミニノートと呼ばれる市場なのだけれど、よくよく見ると
「こいつらは7年使うには華奢すぎる」
という判断のため候補からは捨て去った。
ま、そんな貧乏人がパソコンを使うなよ、という説教をされてしまうのだけれど、オイラにとってはテレビに100%代替できる唯一の娯楽になりつつあるので、求める要求は高いし、優先度も高い。その欲求を満たすためには、食いたいものも食わないし、削れるコストは徹底的に削り始めている。しかも、支払わなくてはならない「社会的優先度」の高い出費があるので、実現できるのは
「・・・生きているうちだろうか?」
と大きな疑問符が立つ。
そういう意味では、会社で最新のMac環境をさわる事ができるので、半分趣味みたいなもので嫌いではない。イヤな事はたくさんあるけれど、とりあえず目の前のパソコンをいじくり倒しているうちは疲れないし、疲れるのは家に過えっる途中のスイッチがオフになりつつある時間だからよいとする。
そのせいか知らないけれど、家に帰るととにかく早寝で、寝坊する事もないし、とっとと職場に出てMacをいじくり倒すのが楽しいのだろう。それに、雨風しのげる暖房がある職場で働けるだけでも幸せに思わないとな。


ホームレス中学生、と言う著書で「幸せのハードルを下げる」という言葉があったらしいが、まさに今のオイラはそんな状況である。そして、不景気にあえぐ同胞は同じような子持ちで「幸せのハードル」を下げているのだろう。そういう中で
「もっと上を目指せ」
と言われても感覚的にピンとこない。だって、今は昔に比べてよい状況なのだから。
貧乏を社会のせいと決めつける様な事はオイラはなくなったが、幸せのハードルと下げさせたのは社会のせいで、それに満足させたのも社会のせいとオイラは思う。満足できる質素な環境に対応しただけの事だ。やがて富裕層達からも脱落者が出てきたときにそういう気持ちを理解するときがくるだろう。ま、がんばれ富裕層。がんばって、非課税世帯が払わない分の税金をせっせと払ってくれ。