ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

1年総括 2008


「おつかれさんでした」


気がついてみれば今年も漫然と終わってしまいました、37〜38歳のプライムゾーン。
書店を見ると「30代の生き方がその後の人生を決める」などという不況の事など全く考えないブルジョア視点の本がならんで居たりしますが、それはスターリン主義社会主義現代社会で通じなくなったのと同じくらいに気にしないで受け流す事にしよう。


思い返せば、今年の前半は前年10月に終了した期間工から筋肉だけが増徴した肉体で帰還。
そのまま、しばらくの間燃え尽きたような感覚がありろくに仕事もまともに探さなかった。ここで素直に就職しておけばよかったのかもしれないが、失業保険の金額と就業してからの賃金を計りにかけると中々就職までいたることが出来なかった。
当初は帰還してから介護の仕事に就こうと思っていたが、気がつくたびに介護職の労働環境が悪化してきており、もとの仕事に戻るほどのモチベーションを取り戻す事が出来なかった。
夏にかけて、やはり同じように条件のよい仕事ばかりを探していた。今となればバカっぽいのだけれど当時から条件のよい仕事など存在しなかった。もうこの時代は一部の上手くすりぬ寝るたくましさを持った一部の正社員によってコントロールされ、後発の人間はバイトか派遣、よくても契約社員以上の好条件で就労する事は難しそうだった。この時点でボーナスという言葉はオイラの中から消え去った。
秋。いよいよ失業保険も切れると言う状況で必死の就職活動をしていた。おかげで何度か極度の鬱を再発させ、厳しい人生を送るという羽目になる。薬だけが安らぎだった。
初冬、何とかサポート系の派遣職につくことが出来た。頑張って自分なりに努力して今迄の経験で持っていたものを工夫しながら頑張ってみた。
好きな物を扱える仕事だったので知的好奇心は尽きることなく、毎日自発的に研究とweb上での勉強を積み重ね、テクニカルな部分では誰にも負けないように知識を蓄積したし、それを資料として作成し、職場の維持のためセンターのクオリティコントロールにまで踏み込んで役に立てるように頑張ってみた。
ま、結果としては世の中の景気の悪さに勝つことは出来ず、当初3カ月おきの更新、次回は半年後との更新だったはずが、気がつくと1ヶ月更新になっていた。
・・・世の中、生きているだけでなんでこんなに不安で苦労しなければいけないのだろうと本当にイヤになるのだけれど、それでも修学旅行で一番遅くまで起きていると何か予測できない面白い事があるんじゃないか?というような気持ちで、まだこの世をうろうろとさまよっているのです。
後は、「もういいや、眠い」と思って何処で見切りをつけるかだけなんだけれどね。


世にはオイラと同じようか、あるいはもっと劣悪な環境に居る人が沢山居る事を知っている。
いつかまともに生きていける環境がそろってくるといいっすね。そのための「夜更かし」はもうちょっとだけ続くのです。では、今年も来年も皆様に幸あれ。