ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

白石サイクリングロードは結構重要な鉄道路線だったのね





「そして景色はかわるんだ」Canon PowerShot S95 developed by Aperture 3
(出典:「地図の中の札幌」より)




我が庵の近くには白石サイクリングロードというものが走っている。
ここに引っ越してきた時には、サクラが両脇に植えられているこの季節には良い景観の場所だったのだけど、
常々、もともと白石サイクリングロードは鉄道が通っていた跡地である、という話を聞いていたので気になって仕方がなかったのだけど、
先日図書館から「地図の中の札幌」という本を借りて、古い地図と突き合わせると、
なるほどねぇ、
と思うところがあった。


今のコンベンションセンターがある場所にはかつてJRが所有していた土地と言うのは知っていた。
ちょうどその裏側にあるおもちゃ問屋に父さんは務めていたためだ。
今思えば燃料のディーゼル油の貯蔵だったのだろう、ドラム缶を進撃の巨人サイズにしたようなものがたくさんあり、
「あー、火事になったら、父さんの会社あかんやつじゃん……」
と子供ながらに怯えていた。
……ま、実際会社の裏で火事があったということもあり、父さんはすっ飛んでいったけど。


地図を見ると、今は存在しない「東札幌」という駅付近だったようだ。
……全く覚えてないもんだな。
おばさんが白石に若いころ下宿していた時に、踏切をよく渡るんだな、と思っていたが
そういうことだったわけだ。


まだ、厚別に「新さっぽろ駅」が無い時の話だな。
短編的に思い出すのが、厚別にサンピアザという施設とともに新都心という言葉が出てきて、
あの付近が賑やかになってきたんだけど、古い地図では厚別駅に行く路線と、大谷地駅を経由して千歳に向かう路線が統合されて、新さっぽろになり、
千歳線となる場所の空き地をサイクリングロードとしたようだ。


そこで、サクラを植えたのだろう。
……何かとサクラは日本人好きだし、名物になって人が集まる。そんな短絡的な植樹だったのだろう。
……手入れも面倒くさいので何処もかしこも桜並木に出来ないという点もありがたがられるんだろうな。


まぁ、鉄オタではないけれど、かつてここになにがあったのか?
と言うのはTimeMachineが無い限り地図で追っていくしか無いし、
googleマップも、これからの時代は時代の遍歴をアーカイブしていくのだろうけど、
この時期くらいが、必死で図書館から書物を引っぱり出さないとわからないギリギリの時代なのだろう。


なので、最近は図書館でも「郷土」とシールの貼った図書をあれやこれやと掘り起こすのが楽しいのである。
今も所謂北方領土問題の書物を読んでいるけれども、
どうも今まで習ってきた内容と違う事実があったりで、歴史教育というのは史実とは別に政府のプロパガンダに利用される、という側面を十分に考えないとイカンのだな、と感じるこの頃だ。