ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

花房 〜ハナフサ〜

はな

世の中には、誰に読んでもらうというわけでもなく、ただ個人的に書き付けられる文章が存在する。書いた当人には凄く深い意味があるのだろうけれど、誰もその背景を理解すること無しに正確に読解することは出来ないし、万人に受け入れられるものではないだろう。
しかし、僕はそうした類の文章が、何かしらの力を持っていると信じている。
そして、この文章もそうしたものである。いつか見た夢がモチーフになっているのだけれど、それがあまりに素敵な色彩を帯びているような気がしたので、補足を入れて一つの文章に構成した。


時は卒業シーズンである。
僕は大学3年生であり、周囲が就職の話題で鬱陶しくなってくるのを尻目に、単純に自分がやりたい道へ向かって資格試験の勉強を淡々としていた。
僕にはサークルで一緒だった大切な先輩がいて、彼女が今年卒業していくことを気にしていた。彼女はこの何日か、ロッカーやゼミのルームに置いていた荷物を一つずつ丁寧に段ボール箱にしまっていた。この1年弱の間に見慣れていた景観は、彼女の荷物、まぁそのほとんどは書籍になるのだけれど、次第にものがなくなっていき、最後には空っぽになっていった。その事は、僕に強く別れの景色を意識させたが、かといってどうになるものではないのである。ここは大学で、勉強をするための場所だ。彼女はもうすぐここを卒業し、後輩の僕はもう一年、あるいは2年、この場所に残って勉強をするのだ。
彼女の荷物が置いてあった場所とそうでない場所には、くっきりと埃の境界線が出来ていたが、やがれそれも彼女が綺麗に拭き取って、なにも彼女の存在を思わせるものは無くなってしまうのだろう。そして、新しく来る生徒達をその場所は待ち受けるのである。
僕は忙しそうに片づけをしている彼女のところへ行った。そして、
「先輩、」
そう僕は話しかけたが、とっさに浮かんだその後に続く言葉のどちらを選ぼうか、一瞬ためらった。
「先輩がいなくなると寂しくなりますね。」
「先輩と逢えなくなると寂しくなりますね。」
そして、僕は後者の言葉を選び先輩に話した。彼女は忙しく動かしている手を止めることは無かったが、ほんの少し笑顔を浮かべた。僕は、その横顔に浮かんだわずかな表情に、何か影を感じたような気がした。


やがて、僕は3年生の後期の最後の授業を終え、同じゼミに所属している同級生であるあの先輩の妹と、授業で使った本を返すため付属の図書館へ行った。
受付の司書に本を確認してもらい、作業は終了した。
ふと、目線を動かすと新聞や雑誌が閲覧できるようになっている場所に彼女はいた。特に何をしているという感じでもなかったが、コートを羽織ったままぼんやりと窓の外を眺めている。…何をしているのだろう?
彼女はずっと視線を窓の外に固定したままで、僕らのことには気が付いていないようであった。何気なく、僕は彼女の妹に尋ねてみた。
「お姉さんって、卒業してどうするの?」
「んーっとねぇ、お姉ちゃん就職決まらなかったから、ハローワークや合同面接会やら忙しいみたいよ。」
「へぇー…。あの先輩が就職決まらなかったなんて意外だなー。」
「うん…。実はね…。」
そういうと彼女は話を続けた。
「本当は何社かから採用通知が来ていたの。それで、私も両親もすっかりその内のどこかに行くと思っていたんだけれど、突然、どうしてもやりたいことがある、って言い出して全部断っちゃったの。」
僕は、どういう言葉を発して良いのかわからなかったのでそのまま話の続きを待った。
「それで、もう両親とお姉ちゃん大喧嘩して大変だったんだから。一度こうと決めたら、全然ゆずらない人だからね。」
「そういうところあるよね。」
「うん。だから親も最後にはしょうがないだろう、ってあきらめちゃった。」
「それってとても先輩らしいな。」
僕はちょっと笑った。
「あのねー。私の家の中では笑い事じゃなかったのよ。」
「あぁ、ゴメンね。でも、そんなことがあったんだ…。」
一体、この不況といわれる世の中で、簡単ではなかっただろうにやっと掴んだと思われる採用をふいにしてまでやりたいことってなんだろう?
「でもねぇ。」
妹である同級生は話し始めた。
「やっぱりお姉ちゃんなりに悩んでいたみたいなの。ずーっとなんだか考え込んでいて。それで、ここ2、3日になってやっと吹っ切れたのかも知れない。随分と明るくなった。で、時間の空いている時は、家じゃモチベーションが上がらない、とか言ってここに来て勉強するみたいよ。」
「勉強ねぇ…。大学院でも目指すのかな?」
「さぁねぇ。あまり詳しいことはお姉ちゃんもきちんと話してくれないの。家には迷惑はかけないからって。理由をきちんと話してくれないから、余計に親ともめるのよねぇ…。」
なるほどね、と僕は思った。余計なことを語らないのはある意味先輩らしいと思ったけれど、確かに家族としては心配だろう。
「じゃぁ、私、サークルがあるから先に行くね。お疲れ様ー。」
「あぁ…、おつかれー」
妹が去ってしまったあと、僕はぼんやりと先輩の横顔を見つめていた。まえから思っていたけれど、先輩はとても綺麗な人である。髪はショートっぽい長さであり、目はどこかの中国のモデルさんのように切れ長である。何処かしら、冷たい印象を受けてしまうのだけれど話してみると、そんなことは全くなくて、とても親しみやすい人である。だから、みんなに人気がある。男性にももてる。女性にももてる。そういうタイプの人というのは漫画の中だけでなく、実在するものである。けれども、恋人がいるという話は聞いたことがないな。…どうしてだろう?
ふと、窓の外から妹が何か合図をしたみたいで、先輩はこちらの方を見て僕の姿を見つけた。そして、にっこりと笑って僕に小さく手を振った。僕は、それに釣られるように軽く会釈しながら彼女のところまで歩いていく。
「こんにちは。こんなところで何をしているんですか?」
彼女は大きなコンクリートの柱にもたれ掛かり、コートのポケットに手を入れる。そして、僕の目を見るわけでもなく何か独り言を話すようにしゃべった。
「この時期は卒業旅行とか行かないんですか?」
「あ、私そういうの苦手なの。旅行に行きたかったら一人でふらっと行ってしまうし。」
そういうって少し笑った。なんとなく物騒な感じもするけれど、そういうところが先輩なのである。
「妹さんから聞いたんですけど、」 僕は、彼女の反応を確かめるように話し始める。
「就職活動が忙しいんじゃないですか?」
「まぁねー。でも忙しいのは資格を取るための勉強だし…。ここの図書館ね、学部があるから結構良い蔵書があるのよ。自分で買うと凄く高くつくじゃない?」
ちゃっかりものの先輩でもある。
「私、たまに大学に行うかなー、ってね。それに…」
彼女は、そのままの姿勢で目だけを動かし、僕の方を見た。
「あなたが逢えなくなって寂しいっていうし、ちょくちょく来ても良いかなー、って」
そして、僕が急な展開に戸惑い、次の言葉を選び終わるまえに彼女は続けて話した。
「私も、あなたに逢えないと寂しいしね…。」


春は、旅立ちの季節でもあり、出会いの季節でもあるのだ。


後日談がある。
結局彼女がやりたいことというのは、僕が目指していた仕事と一緒であった。彼女がどうして僕と同じ仕事に興味を持ったかというと、夏の合宿で僕が不覚にもべろんべろんに酔っぱらった時、トクトクとその仕事に対する情熱を彼女に語っていたらしい。もちろん、僕はそんなこと覚えていない…。しかし、それに彼女はとても感化されたそうで、自分も作られた道に沿って生きるのではなく感銘を受ける道を歩いてみたいと思ってたくさんの採用を蹴って、就職浪人をしたそうだ。
それと、同じ酒の席で僕は、
「いなくなって寂しいというのと、逢えなくなって寂しいというのは全然違う意味なんだ。」
と、持論をべらべらと恥ずかしげもなくまくし立てていたようだ。そこで、彼女は僕が先輩に対して持っている感情に気が付いたのらしい。人生思わぬところで接点ができあがっているようだ。ちょうと、脳内のシナプスが次第に結びあってネットワークを作っていくかのようにね。
さて、あれから3年後。彼女はもう先輩ではなく、同僚となっている。そして、将来を共にするパートナーに来年の春、なるのであった。