ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

クリスマスまで、あと2ヶ月

うむ、目を覚ますとオイラは実家の茶の間で寝ていた。
昨晩は新潟の大地震のため、どこの放送局もいっぱいいっぱいな感じであり、通常放送から大きく外れて、この地震を報道していた。が、どちらかというと好奇の目で見られていたような気がするのはオイラだけであろうか? その点ではNHKが事実だけを淡々と報道していて好感が持てたのでありました。ハイ。で、3時くらいに新日本プロレスの放送を見ながら、テレビのオフタイマーをセットして、いつの間にか寝てしまったようだ。しかし、そこは実家の茶の間である。ヤム(シャム系雑種 雄 13歳)が夜行性ぶりを発揮して、餌をボリボリ食う、部屋の中をうろついて猫みたいな甘えた声でウロウロしている。終いには、歯磨きらしいのだけれど、縄をギシギシとかじり、まるで人間の歯ぎしりのような轟音をたてる。そんな感じなので、何度も目が覚めて、その度に
人生とは何だろう?
と、深く考えながらタバコを一服して、再び布団に潜るのであった。
5時半。オイラはろくに眠れなかったので、寝ていたがオヤジさんが轟音をたてて起きてくる。
「おい、ぱけを! 隣の部屋で寝てくれ!」
「…む、茶の間にいると邪魔なのか?」
どうやら、父は出勤の時間らしい。朝が早いのである。で、やおら台所で弁当を作り始める。ついでに、ボーっとタバコを吸っていたオイラに朝食を作る。あぁ、うまいだし巻き卵である。しかしながら、寝起きであるし、少々昨晩は深酒をしてしまい、頭が痛く、胃の具合も最悪だったので、後ほど戴くことにした。で、テキパキと動くオヤジの姿を見ていたのであった。うむ…、オイラには全く感じられないバイタリティーである。オイラは自分の体たらくを大きく恥じたのであり、そのまま父の布団に潜り、地震のニュースを見ながら再び眠った。やれやれ。体はいきなり動かないなり…。
10時くらいに目を覚ます。朝用意してくれた、御飯を食べる。卵焼きがうまかった。で、意外とぺろりと食えるものだ。そして、日曜日のこの時間というと、左翼で有名なサンデー・ジャポンだ。最初の部分ではデーブ・スペクターのつまらないジョークにも愛想笑いをしていたのだけれど、そのうち寝てしまった。遠くの方で、オイラの師匠、テレンス・リーが何かをわめいていたような気がしたが、もちろん内容なんて頭の中に入ってこない。オイラはストーブの前で、暖かそうに気持ちよさそうに目を細めているヤムと同じようなタイミングで眠りについた。にゃー…。
再び目が覚めると、12時を回っている。しかし、頭は朦朧としている。困ったものだ。たかがロックとハイボールが2杯ずつじゃないか…。そして、ヤムはこちらを見ながらぼんやりしっぽを地面にたたきつけている。(貧乏揺すりのようである)
突然、家のドアが開く。なに! オヤジが帰って来るにはまだ時間が早いぜ、と思ったら母ちゃんだった。運悪く風邪で38度の熱を出している妹の看病に来たらしい。ん? 俺は何をしていたかって? どうせ、オイラの妹は俺の看病なんて受ける気がないし、アレ食え、これ食え、と指示しても聞く耳を持たないのだ。で、母の登場である。母も、何故オイラはこの時間に実家にいるのかを不思議に思ったらしいが、細かい話は後でまとめて全部したので、ここでは割愛する。
高熱で味覚がおかしくなっている妹が、母にリクエストした飯はみよしの餃子カレー弁当である。カレーは風邪を引いても味が変わりにくいことは、太古の時代から確認されている。まさに、本能にインプリンとされた生活の知恵である。しかし、それでも食欲が足りないらしく、残りはオイラが食え、と言うことになった。全く、妹の近くにいるとオイラは台所のディスポーザーのように何でも残飯を食う羽目になる。困ったものだ。
で、飯を無理矢理食わせ、薬を飲ませ、耳を引っ張って布団に無理矢理寝かせておいた。そうでもしなければ、暴れる奴なんだ。気をつけないと。
しばし、騒動がさった茶の間はオイラと母とヤムで、マッタリとした空間となる。オイラも暇なので、ヤムを掴まえてマッサージをする。ちょうど人間で言うところの肩胛骨と首から肩に伸びる僧坊筋の当たりを、こりこりと揉んでやるのである。ヤムはそれは気持ちよいらしく、されるがままとなり、爪を立って大木に体を伸ばすなどリラックスする。オイラの動物にたいするゴッドハンドは猫にも通じるようだ。まぁ、猫さんも、人間さん同様、肩が凝ると言うことなんだな。大変だ。
で、3時くらいになってくるとオイラの猫アレルギーが発症してきて、くしゃみが止まらなくなる。殆ど水のような鼻水が全く止まらなくなる。オイラもそろそろ実家を脱出することかなと思い、母を車の乗せて(どうせオイラの家の途中にすんでいるのだから)バイバイキーン、とヤムに手を振っておさらばしてくる。まぁ、家を出たからアレルギーが止まるかというと、そういうことではなく、最低2日間、最長1週間はひどい鼻水や咳に悩むことになるのである。猫大好きなアレルギー体質…。オイラはこの体を恨むぜ。
母を降ろし、自宅へ帰る途中、ピンボールが存在しているという情報をネットで見たので、ポパイ、というゲーセンに寄ってみる。うむ、昔ながらの据えた臭いのする汚いゲーセンだ。しかし、受付の姉ちゃんはとびきりかわいくて、それが妙な違和感を醸し出していた。本当に綺麗だったんだから。
で、目的にピンボールは、…ない。あぁ、とうとうここも駄目になってしまったのか。一体どこへ行けば、落ち着いてピンボールが出来るのだろうか? 俺は知りたい。北大界隈なのかな? でも、あの当たりは全然落ち着いてないからな。まぁ、いつか出会えることを信じてさらばだ、と何もプレイせずに出てきた。ピンボール探しの旅が、思った異常に困難であったのは1973年のピンボールと同様であることがわかるのは月曜日のことであった…。
家に戻る。五木寛之の「父帰る」を思い出したが、オイラには事もがいないのでさながら「バカ亭主帰る」と言った感じであろう。
いろいろあって、すでに寝る時間だ。
決して、書くのが面倒になったわけではない。もう、覚えていないのだ…。