ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

富の再分配の議論は結局罵詈雑言で終わる模様


「毎夏恒例、大腸カメラ検査」


先日、年に一度の大腸カメラをしてきました。
今までずっと行っていた病院から、担当の先生が独立されたので、今回からおニューなクリニックで検査を受けたんだけど、個室なんよ。
今までだと、同じ処置室で大腸洗浄剤をいかにスムーズに飲んで、いかに検査オッケー☆⌒d(´∀`)ノな状態になるか、早食い競争のように目に火花散らしていたのだ。
だって、早く検査終わって飯食いたいじゃんね。
そんなそわそわな気分を萎えさせるニフレックという洗浄剤の味。
それはもう、飲まないと先へ進めないのだけれど、思わずオエッとなるような微妙な味。
自分とも闘わないといけなくて、嫌だった。
ところが今回、個室だよ。
しかも、パタパタとトイレまで行ったり来たりしていたところが、扉を開けるとホラそこにトイレが……





オットマン付きの椅子があり、テレビまでセッティングしてあった。
……ま、オイラ昼間のテレビは見たいもの無いので付けなかったけど。
洗浄剤は今回ムーベンという、まぁ小林製薬のようなネーミングのものだったけど、かなりあっさりしている味付けを工夫していたので、戻しそうになることもなく飲みきって、肛門から出るものがおしっこになるまで頑張る。
そんなことがありました。
検査は、毎回肛門がずーっと痛くて、カメラが腸壁に当たる度痛みが走るし、今回体調が悪かったので、途中で低血糖になって意識緩慢になった。先生ノリノリで色々説明してくれるんだけど、返事してあげられなかった。




そんなわけで、いろいろ収入格差とかそういう不満が多い度に「富の再分配」という言葉が頭に浮かぶんだけど、
ちょっと調べただけで、それが成立しない理由がわかる。
一部の正義感に満ちた人は、もっと今の金持ちの寡占状態を若干ゆるめて日本として生活の質をベースから向上する必要がある、と説くのだけど、金持ちルールに乗っている連中は
「なんで、努力した俺らが努力しない奴らにたくさんお金払わないといけないの?」
の平行線となる。
オイラの意見としては、彼らは彼らなりに今の土俵に合う努力をして上手く適合したんだけど、その土俵に適合できないくてあがいている人を「努力なし」と一刀両断する傾向があるようだ。
一般的には、過去に遡るとそういう考え方によって革命やらクーデターが起きて、ひっくり返されるという歴史が繰り返されてきたんだけど、日本の国民性を考えるとそういうことは無いだろうと思う。


違和感を感じた時は、貧乏人こそ他の国で自分に合う生き方を探した方が良いのかもしれない。
価値観だからね、しょうがない。
オイラはスコアを争うものに不適合です。
わかりやすいと目の前の強いやつとか、面クリアがたのミッションだったらモチベーションが出やすいが、
そんな仕事無いからね、残念だわ。