ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

なにかの記念日や年次の日付を覚えているのがとにかく苦手である。

誕生日と、結婚記念日と、お盆正月、命日くらいは個人のパーソナル休日として福利厚生に組み込まれると、それは待遇面で人を引きつけるのだろうともう。

 

それでも、待遇が良くても嫌になってくるのが、世にいう稼ぐためだけの仕事というもので、我々はその我慢をして将来に希望を持って生きてきた歴史があるわけだけど、

希望が下火になる時代も当然長い歴にの中にはあるわけで。

そんな時代なのか、そうでなかったのかは多分数百年後に考古学者が議論しておおよその論文としてまとめるまで客観的な評価というのは無理なのだろう。

 

で、

今年はコロナで田舎に行かないとお参りにできないじいちゃんの納骨堂であったわけだが、

命日くらい、行きたかったよねぇ、と思ったりするんだわ。

 

親戚付き合いが苦手であったことで、結果としてありがたいことに身近な人の不幸に触れることはとても少ない人生を過ごしてきたけど、まぁ、いつまでも人は生きていられるというわけでもなく、こうして行けなかった分、色々思い出したりするのである。

 

話は変わり、今日はよくパソコンの電源が急に落ちるので、

「あー、ゾゾゾとか心霊動画ばっかり見ているからまた呼んじゃったかなー」

とか思って反省していたが、原因はタップのスイッチを踏んづけていたせいだった。

 

廃墟。

マニアではないので、侵入したりすることはないのだけど、動画ではよく見る。

昔は興味津々で見ていたのだけど、最近考え方が変わって、

人も葬儀をして骨にして心に整理をつけて行くように、家というのも、放置せずしっかりと後片付けをして、壊して整理をつけてあげないと、とっても悲しい思いに駆られることになるのだと感じているのである。

 

家とか建てるって、それは苦労はつきものであるものだが、幸せなことだと思うのだけど、終わり方が残念だととっても悲しいことになってしまう。

物事に整理をつける。

ときにそれは嫌で嫌でしょうがないことに感じるけど、必要だよな、と思ったりした教であった。