ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

総入れ歯の老人の笑顔は最強

たるんだるんな一時の夏

さて、マッタリと笑点「円楽の」最終回でもみてやろうかな、と思ったけれども何やかんやと忙しく過ごしていた日曜日である。はい。
そんなオタンチンなオイラの一日の始まりは、例によって携帯の目覚まし時計によって始まりを告げられる。…まったく、携帯のせいで腕時計を持たなくなった若者が増えたり、アラーム機能で目覚ましを買わなくなった明け方に眠りの浅くなってきたおじさん世代と言い、携帯電話は時計屋殺しだな。
ま、次代は移り変わり、それにオイラ達はついていかなければならないと言うことで…。
しかし、眠りが浅くてすぐに目が覚めるのと、すぐに活動に移れるとはまた話が別だ。オイラは、グッタリしながらダラダラと朝の準備を始める。さながらキレの悪いジジイのしょんべんか、すり下ろした山芋で出来た砂時計をみているような感じだな。
マーチに乗って出発。日曜日の朝というのは、平日のそれと違って大変道が空いている。スイスイスイと行きたくも無いのに職場に着く。で、仕事開始っと。
仕事と言っても、最近は家事をやっているのか、介護をやっているのか、今ひとつ自分でもわからなくなる瞬間がある。仕事としては大変なのだけれど、これだけでお金をもらって良いのかしら? と、素の自分の戻る元営業のオイラがいる。ま、商品を担ぐこともせず、右から左に数字を動かすだけで儲けをさっ引くような仕事よりはましかな? と、村上ファンドを敵に回すような言動を呟くオイラだ。
もっともムコウ様も敵とは思わないだろうけれどな。構うだけ儲けの時間がつぶれるって言うもんだ。
しばし、守秘義務に守られた職務を遂行する。
しかし、日曜日の「母の日」だというのに相変わらず面会に訪れる家族というのは少ない。所詮、認知症で話し甲斐のない親や肉親に構って休日を潰すほど健常の型は暇じゃないって事だな。金があって、施設に入れる金があればなんでも良いって事だ。
…ま、簡単に切って捨てるほど事情は簡単じゃないだろうけど、そう言う現実の一面を目の当たりにする。
夕方になると、オイラのモチベーションは更に落ちる。…いい加減疲れてくるのだ。介護疲れ、と言うのは本当にあるものなのだ。これが365日24時間続くとなると、地獄だぞ。道連れに心中、なんて言うのもわからないことはない。
けれどもどうしても疲れたなら、世帯を別にして、要介護者を生活保護にして、そのお金で施設に入ってもらい、自分の人生を生きるというのも大事なことだ。親に感謝するという気持ちは、自分も不幸を共有すると言うことではない、とオイラは思う。お互いに、出来る限りの方法で行き続けていく、と言うのが正しい感謝の示し方でもある。
…ま、それと面会に来ないで半年も放置するというのは、また別の次元の話しだけどな。
そんな思い感情を
「お疲れ様でした〜♪」
の、心ない一言で断ち切って家に帰る。
オイラも人間だ。仕事が終わったら自分の人生を生きるのだ(言い訳)。
夕方の日曜日の道路は、朝のそれとは違って、出かける人、帰る人で大変に混雑している。
「まー、せいぜい明日からの仕事のために英気を養い給え、」
と、明日も仕事のオイラは毒づく。
家に帰ると、本屋に連れて行って欲しい妻が手ぐすねを引いて待ちかまえている。ところで、手ぐすねってなんだ?見たことないぞ。
再びマーチに乗ってレッツらゴーだ。
某全国的大型小売店舗に行って、妻は本屋へ、オイラは例の島村楽器に行って冷やかしをかます。買わない時は
「毎度様です〜」
とプレッシャーをかけるくせに、この前エピフォン中国のレスポールスタジオとVOXのデジタルアンプを買ったのに、一言の挨拶もなかったな。
ま、いいさ…。
オイラには石ころ帽子をかぶった時のように、スルーされる方が居心地がよいのだ。それこそ客への最大のもてなしって言うもんだ。…やるな。
しばしコンパクトエフェクターの販促DVDの映像を、猿山に取り憑かれたおばちゃんのごとく、食い入るように眺める。
…あー、ギターとベースというのはこんなすげぇ音がでるんだぁ。
正直な感想である。
…オイラのベースとギターからは、こんなすげぇ音、でねぇぞ。
……むぅ。
ションボリと練習しなきゃ、と誓って家に帰る。
そして、明日の仕事まで12時間を切ってしまったオイラは焦りながら、ヒーヒーとギターの練習をするのだ。
…何のためにだ?