ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

政党という政策のパッケージ販売は時代にそぐわなくなりました

「昔は音楽を良くやってました」


毎日同じ事が続いていくと言うことは、人によっては好ましいことかもしれないし、ゲンナリすることかもしれない。
あるいは、同じ人であってもずっと続いて欲しいこともあれば、とっとと終わって欲しいことがあったりもする。
それは、とても生活に根が深く食い込んでいることであり、時に好きなことに夢中となって時間を忘れることもあれば、耐え難い苦痛の中で砂時計の最後の一粒の砂を眺めるような時間を過ごすこともあるだろう。
オイラの最近は、好きなことがほとんと出来ることはなく、仕事が見つかって生活が軌道に乗るまでは後者の忍耐を強いられることとなる。
忍耐に関しては人それぞれ、耐えられるレベルというのは違うと思うけれど、オイラの現在はチョイと一切合切を放棄してしまいたい心境だ。


さて、朝目覚めるとニュースを自然と眺めるという行為が当たり前になっているのだけれど、今日のメインは光市母子殺人事件の高等裁判所判決についての解説が主なものであり、おおよそネットで情報を収集しきったオイラとしては物足りなく、かつ恣意的に情報操作をしている部分もあり不快であった。
ただ、昔に比べるとネット右翼(いわゆる、マスメディア及び極左翼的組織が常識的に個別を判断して意見を述べる人間達を侮蔑して呼称してる名前)の影響が無視できないほど声高であることもあり、それほど現実と乖離したような寝ぼけた解説をすることは少なくなったように思える。
そして、朝の支度をしてオイラはいつものようにハロワに仕事を冷やかしに行く。
この一連の流れというのはスッカリ板に付いたもので、求人端末を利用するときの受付とのやりとりも、スッカリおでん屋でチャカを購入するときのように、目配せ一つでオッケーだ。その都会的で残忍で、クールな交流が心地よい。
さてさて、仕事仕事。
・・・全く増えて無くて笑えるのな。
オイラは思わずその場で、宝塚歌劇団の花形のように高笑いしてみようかと思ったけれど、そのまま職人に小脇を固められてイエローピーポーに乗せられて帰宅できなくなっては、テトリスDSがプレイできなくなるのでじっと森の子ネズミさん達のようにぐっと息を潜めて我慢した。・・・こうしてみると、オイラの生活も実に我慢に満ちているのな。誰でも我慢しながら生きているのだろうけれど。


ハロワを出て、まるで刑務所から釈放されたような開放感を(それが虚像で夢であることを感じていながらも)味わいながら、ちょっとした冷やかしの旅に出ることにした。旅と言っても、遠くまで足を伸ばすとガソリンが消費されて妻から卍固めでしばかれるのでちょっとした距離にすぎない。
最近のオイラの冷やかしのテーマは「デジカメ」である。
このブログもよそ様のページから写真を拝借するのは実に中華人民共和国的でありいけないことだ、と感じていたため最近は自分で撮影した写真を利用するようにしている。そうなると自然に「撮影」という行為に関心が向かい、現在メインで利用している携帯電話の写真撮影機能では歯がゆい部分がたくさんあるのだ。というわけで、カメラを物色。
いつ買えるか不明であるが、望んでいるのは中古、新品にかかわらず、


1 なるべく小型であること。
2 「顔認証機能」とか、人間の腕をカバーするような機能は必要ない
3 へたくそが撮影すると思いっきり下手な写真しか撮れないが、腕が上達するに従い凄く個性的な写真が撮れること
4 上記に付随して、上達するに支援的なコンセプトとソフトウェアを搭載していること
5 撮影に際しては、液晶画面ではなくてファインダーを覗いて撮影する方法がメインであること
6 CANONSONYPanasonic製品でないこと


以上を目的に物色してみた。
いろいろピックアップしているとリコーの「Caplio GX100 VF KIT」。同社の「R8」も心ときめくデジカメなのだけれど、ファインダーが無いので取り合えず次点扱いだ。
Nikonの「performanceシリーズ」である「P5100」「P80」「P60」「P50」。
あと、デジタル一眼レフのハイエンドモデルに匹敵する値段なのだけれどライカのM3の遺伝子を引き継ぐかのような「エプソン R-D1s」である。
リコーのものとNikonのものはアッパーシェアを占めているだけあって、カメラのキタムラで簡単に手に取ることができた。(当然ヤマダ電機では冷やかし済み)。質感も申し分ないし、適度な重量感とか、無骨な感じ。もった時点で「(´∇`)」という気分になる。
値段を見て「(T_T)」という気持ちになる。
当然エプソンR-D1は置いてなかったな。・・・ま26万円もするしな。
で、時間もあったのでオイラとは犬猿の仲であるCANONの製品を手に取ってみる。
・・・くそ、悔しいが良い製品じゃないか。ファインダーが望遠倍率に応じて拡大する点も文句ないし、画質や扱いやすさも合格点以上である。誠にもって腹立たしいことだが、モノを作るという部分ではこの企業を褒めないわけにはいかないだろう。
・・・なんとしても買いたくないけど。
ま、取り合えず中古でリサイクルショップに間違った価格で売りに出ていない限り買えることもないので、春雨に打たれた麻呂のように肩を落として静かに帰宅した。


家に帰っても、つまらないことに変わりはない。
ま、そういうと語弊があるのだけれど「生きている充実感」というモノは全くないな。
よくメディアで「プラス思考!」と叫ばれているけれど、オイラの前でその言葉を使う奴がいたら仕事人の秀さんのように大脳皮質を破壊してやりたい気持ちになるだろう。・・・嫌いなんだ、プラス思考って言葉。
人の感情をどうのこうのいうなど、優位な精神状態にある人間の奢りである。


そんな深いことを考えながら「くりぃむなんとか」を見た。
世の中は馬鹿と真面目が混在して摩訶不思議である。さて、久しぶりに本でも読むかねぇ・・・。