ぱけちゃん、おしゃまなの。

ふざけながらも世間を切るんだ、はてなブロブ版

バターになるまで木の上で考える

何をインストールしたきっかけだかよくわからないのだけれど、富士通が「made in Japan!」と歌う前に発売されて買ったathlonXP1400+のノートパソコンの冷却ファンがほとんど回りっぱなしである。
・・・うるさいんだよ(-_-メ)
こういう小さなストレスって蓄積するとすげぇことになるんだよな・・・。まぁ、いいや。
さて、先日の土曜日。月に一度の出勤日のはずであったがちゃっかり寝坊した。
・・・なんだよなぁ。
でも護送バスは出発してしまったが、タクシーに乗れば何とかなる。というわけで配車を頼もうと電話する。
・・・20分くらい全く誰もでないぞ。だから田舎は駄目なんだ!と(まぁ、そのときはそう思った)
やっとつながって配車を頼んだら、
「40分くらいかかりますけど・・・、」
「・・・マジですか?」
「・・・はぁ、すみません」
「・・・駅に行った方がつかまりますかね?」
「・・・いや、予約でいっぱいでいないと思います」
「・・・むぅ。」
で、事情を報告しなければと会社に連絡。
「すみません、タクシーが全然つかまらなくてちょっと遅れが大きそうです。」
「1時間以内に入らんと休みあつかいになるがね」
「えぇぇええええぇ〜」
「有給にしておくかい?」
「・・・それ、無いです」
というわけで、日給月給のオイラは今日の給料と満了時にでる報奨金の今月分2万円を一度に失ったのである。注意一秒怪我一生・・・。

日曜日は金城ふ頭に行ってみる。
ここはオイラが学生時代に住んでいたときには、ぼやっとした埋め立て地の港であったのだけれど、何年か前に伊勢湾岸道という都市高速が開通して橋が架かってからはベイブリッジを彷彿させるようなこ洒落た景観になった。で、景色を撮影させたら林家ぺーの左に出るオイラは激写する。
・・・うん♪ ちっさくてさっぱり何の写真だかわからん。
で、汗にまみれて景色を確認し、まったりと夜景を見ながら対岸に見える工場の煙を眺めながら、「smoke on the water」を口ずさんだ。
帰りは車で送ってもらう。これがなぁ、やっぱり橋を通過するというのはいつも心がときめくものだな。オイラの中のシューマッハ
「やっぱり引退はやめた方がよかったよね」
と問いかけてきたが
「てめぇの言ったことは、てめぇで責任をとりやがれ」
と一喝しておいた。
家に帰ると午前様。別にいいんだ。今週は夜勤なのだから。

小学館 新選国語辞典第六版によると、
「妄想」とは、
① (仏教用語)邪念にとらわれて、真実でないものを真実であると意識すること
② 事実でないことを空想で作り上げて信じ込むこと
とある
「想像」とは、
① 実際に経験しないことを心に描くこと
② 知っていることを元にして、新しい観念を作ること
とある
オイラは一応文学部出身の期間工であるが、日常同じような意味で使われている語彙が正確にはどのような成り立ちで意味であるかを調べるのが好きだ。本来なら広辞苑が欲しいのだけれど、高いし置く場所に困るので買わない。パソコンソフトの広辞苑もあるが、辞書は書物の形状であり、ページをめくり目的の語彙を調べるのはもちろん、途中で目についた語彙もついでに調べて学習するところに意義があると思うのであるから駄目。
ということで、妄想より想像の方がちょっとだけ前向きな意味合いを持っていることを認識する。
また、こういう言葉調べも好きだけれど、ちょっとした「格言」めいたものを作るのが好きである。よくあるような
シェークスピア曰く・・・、」
のような先人達の知恵を拝借するのもよいが、オイラとしては作るほうが好きだ。もちろん、槇原敬之のように何となく覚えていたものを無意識に拝借することも多いのだけれど、こういうのが自分に影響と自信を与えることもあるからね。
で、ここ最近繰り返しているのは
「1からやり直すのではなく、ゼロから始めよう」
別に同じようなことなのだけれど、やり直しというより新たに始める方が前向きな印象があるので好んで使っている。1からのやり直しは同じレールを走ってしまう印象を持つけれども、ゼロの可能性は無限大である。理屈なんだけれど、これが思いがけない力を与えてくれるときがあるんだな。
そう、あたらしく想像するのです。